察すること~9/27ウラナイ・トナカイお店日記

子供の時から、気配りが足りないと言われ続けた。
世の中には、もっと雑で気配りしない人がいると後に知るけどね。

でもふと、人それぞれ気になるポイントは異なるでしょうとか、
そこまで気配りすると、それは逆に自己顕示欲の現れではないですかとか、
あまりに、言われ過ぎて、考えすぎて、更に気配りの無い人間に成ったのかも知れない。

実はそんな事は気がついてますが、あえて気がついてませんと無視することもある。
その、気を配れよ、察してよという圧に抵抗してやると思う所もあり。
気がついてるが、そこまでの距離感でもないと見過ごすこともある。

だから、基本本当に必要な事は言おうと思うし
本当に必要なら相手も言うでしょうと思っている。

週に1度、トナカイに通ってくる朝に、乗り換えの途中で、目の不自由な方に遭遇すること
があった。何かお手伝いできますか?と声をかけた方がいいのかなと思いながら勇気が持てず、通り過ぎてた。
2週間前に、大学生くらいの御嬢さんがその人に声をかけてサポートしている所に遭遇して、ガーンと衝撃を受けた。自分の娘より若いお嬢さんが、不器用だけど自然な気持ちで人をサポートしてた。一所懸命さが伝わってきた。

そして、先週は私と同年配の方が同じように声をかけて、サポートしていた。
その方は、とても場数を踏んでる、慣れたスムーズなやり方で、サポートを受けている側の人も安心してる感じが伝わってきた。

私も、しっかり観察した、ああやればいいんですねがわかりました。
この世の中には、いろんな人がいる。子連れに自分の機嫌で怒鳴るような奴もいれば、
迷うことなく、人に手を差し伸べられる人もいる。


お節介な人を嫌う風潮もあるけれど、ナチュラルにお節介も才能です。
禄存星効いてるのかなと思ったりした。
私も、もういい年なので、気がついているのに見過ごして、モヤモヤするより
堂々と実はお節介なおばちゃんですで行こうと思った。
いや、2週にわたり、遭遇してるのは、察しろよお前というメッセージだなと思う出来事でした。


紅谷柘榴