新・北斎展行ってきましたー北斎は生月中殺

今日は、前売りチケットを買ってた、なかなか行けなかった「新・北斎展」に
やっと行って来ました。混んでました。
楽しかったのですが、一点一点の展示画のサイズが
小さい作品が圧倒的で、更に繊細な細かい画が多くて、
みんな丁寧に見ているので、流れがゆったりで、見終わったら立ち続けていたので、足がガクガクでした。
入場するまでにも並びましたし。
でも、贅沢な一日でした。

北斎が宿命中殺(生月中殺)の人だとは知っていました。
wikipediaでは1760年10月31日生まれ。
庚辰年丙戌月甲子日生まれ 戌亥天中殺生まれ。

天才。奇人。これだけの集中力があれば、周りの人にはいろいろ迷惑な人であろうことは簡単に想像出来ますね。
江戸時代に90歳まで生きるのも凄いことだし、外側から見たら、地獄と思えるような体験も沢山しているでしょう。
でも、生きた!って感じが私には楽しい。

私が北斎を好きになったのは子供の頃、永谷園のお茶漬けに、富嶽三十六景のカードが付いていて、絵柄に惹かれて集めていたからです。
沢山集めたし、懸賞に応募してセットも当てたけれど、どこかで処分してしまった。

グッズコーナーでポーチ買いました

天才とは比べようもないですが、
生月中殺が中殺されている場所は自分自身・自分の立場や心です。
私って何とか?自分の居場所は?って真面目に自分に聞き始めたら、生月中殺生まれでなくても、誰でも答えずらいでしょう。
それでも、生月中殺生まれは特に、そんなことを自分に問い始めたら簡単に迷路に陥りやすいと思います。自分の枠組みがいつも揺らいでいますから。
それは、精神的自由さであるとともに、自分への不安定感を常に抱え続けるということにも成ります。
心が定まりにくいのだからこそ、そこに表現や役柄や役目や、目的などの専門的な何かを置くことが必要だと思います。
もしくは、素直に現実的なその時々に反応して生きるか。とても受容的な協調性の高い人として。

それでも、時として生月中殺が苦しいのは、人と上手く行かない時に、自分のこころを見つめるのが、下手なんだと思います。
定まらない心が、相手には理解されないし、お互いの間にあるトラブルの見つめ方が全くズレてしまうのでしょうね。それによって、気が付かないうちに相手を傷つけたりしている。そのことにも簡単に気がつけない。

それは乱暴な言い方ですが仕方がないことで、その事につまずき続けるよりは、
北斎にとっての描くことのように、何かを、自分の心より強い興味や目的や役目を得て、熱中して生きてしまう方がいい。

☆☆☆
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ウラナイ・トナカイ(南阿佐ヶ谷
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