老いた親と向き合いながら

私自身が既に現在進行形で老いて行く親であるのでしょうが、
まだ私と夫の母親達が健在です。

出来ないことが増えているけれど、介護状態ではありません。
80代半ばを過ぎて、彼女たちをしあわせにすることは出来ないと思っています。

子供が親を幸せに出来るのは期間限定か。

そもそも他者を幸せに出来るのか?

幸せって感じたり
自分で見出すものでしょ。

子供は親を幸せになんかできないんですよ。

そう諦められてから、私は随分と楽になった。

 

私はこれまで、だいたい

楽しい時、穏やかに家族が仲良く過ごしていられる時には

お声がかからず、揉めたり、ドラブッタリする時に

みんなが言いたがらないことを言うお役目のために呼ばれるみたいな

場面ばかりを重ねてきて、

 

平穏の中では迷惑がられるが、困った時だけ駆り出される

みたいな扱いにうんざりしていた時期もあったけれど

最近は諦めと共に、それが私の出来ることなんだろうなと思うので

お呼びがあれば応えようと思っている

 

母親達の世代は

対等の人間関係を信じていない。

自分達が嫁の時は舅姑に自分を消して尽くして

やっと自分がその立場になった時には、時代が流れて

今度は嫁の顔色を窺い、耐えている。

と思っている。

だいたいその路線なんだけど、根底に私の苦労に比べて今の嫁はという

不満がとぐろを巻いているので、言葉の節々にそれは表れている。

 

でも、本音は言わないで、お嫁さんには感謝していると常にアピールしつつ

もっと私達の本音を察してと圧をかけてる。

 

本当に肝心な大切なことについて

同じ家の中で暮らしながら一度も言葉にしない。

 

でもガマンが限界になったり、自分の体調が乱れたりした時に

発作みたいにヒステリックに荒れ狂うのだ。

その時、発せられる言葉はいつも彼女たちが言っている言葉とは

正反対だったりする。

 

ヒステリーにならないと本音が言えないってこと。

泣いて騒いで本音を押し通そうとする。

自我の使い方が間違っているだろうといつも思う。

 

それだけ強い自分があるなら、なんで穏やかに本当に思っている事を

求めていることを

せめて、これだけは家族に受け入れて欲しいと思う所を

言葉にする勇気が持てないのだろうか?

 

それを80歳を過ぎた人たちに求めるのは酷だろうと思うけれど

そういう生き方をしている人は

私の世代にだっている。

 

陰口はいくらでも言えるくせに

意見を求められると沈黙しかないみたいな話し合いの場は

いくらでも在った。

 

母親達の脳内では嫁はとてつもなく酷いモンスターになっている。

母親達の気持ちを全く察してくれないから。

嫌われるのがイヤだから、口をつぐむが、抑制が効かなくなってきているので

何かの拍子に、爆発する。

 

今更、問題の本質など解決できない。

だから、いまここで出来ることを

対処していくしかないんだけれど、

 

母親達より後から来た者として

もう少し、家族間コミュニケーションを獲得していきたいと

理想主義の私は思っている。

 

大人になった親子が独立した者同士として向き合うことが

出来る関係性を育てたい。

「伝える努力」は絶対に必要で、

言ってることと、思っていることがズレたままの

現実を生き続けないことも本当に大切。

 

そこを訓練?修正していける体力や気力のあるうちに

私もしっかりと向き合っておきたいと改めて思っています。