ほめるとか労うとか~禄存・司禄的世界から

3月末にドラマ「俺の家の話」を観おわった時、

私はちょっと自分のこだわりポイントに興奮していました。

最近、家族がまだ観ていなかった8話~最終回までを観ていたので、私ももう一度観て、今見たらしみじみとした感情も沸いてきて、失うことへの、喪失感も強く残りました。

怒りとか

こだわりがあると

しみじみと物語に泣けないんだなと

感じ入りました。

 

私も親に褒められなかった子供と自分の事を認識しているので、

その事が一番響いてきてしまう訳ですね。


自分の過剰さには、人はなかなか自分だけでは

気が付けないんですよね。


わかりやすく言えば

頑張る力が強くて遊びの余白の無い親の所に

遊ぶ、楽しむ、喜ぶ力が強くて頑張りの効かない子供が

生まれた場合

親から見たら出来て当然が、出来ない子供は

ほめるに値しないってことですね。

子供側は求め続けられているから

自分なりに頑張ってみたのに

AからBまで歩いてみたのに

満身創痍だったりするのに

その場所は親からしたら、頑張ったに値しないまだまだの所なので

ほめたり、ねぎらったりせず、

たやすく、まだ足りない、次のCまで進めと求められる訳です。

親にしたら次のDぐらいが当たり前の場所なんですね。

結果だけをもとめて、子供が言われたその道を歩いてみたことに

リアクションしてないんですよね。

もっと先を観てる。

それは親の役目とも言えるかもしれませんが

おおBまで来たねとか

ほめられなくても、笑顔で受け止めるだけで

違うのになと思うんです。

私も何度も親から、お母さんはあなたを応援していると

言われたけれど、親の行動や反応は応援とは受け止められないことの連続でした。

本当はDまで行くが当たり前でも

Bまで行けたことを、今生きているその瞬間を

ちゃんと受け止めようよ、ねぎらおうよはダメなの?という疑問が

拭えなかったんですね。


日常の小さな一歩が大事だと親も知っているはずなのに。

子供がその子にとってツライ事を頑張った時

もっととか

まだまだではなく

まして当たり前だから無反応ではなく

その子としての苦しみや努力を

認めたり、労ったり、ほめることはすごく大事だと思うんですね。

ほめないで育てるっていう考え方もありますが

家族や家庭をあえて子供にとってアウェイにするより

ホームにして受け入れて安心して、その子として獲得して行く力を

応援する方が有効だと思うんですよね。

だいたい人は自分に否定的なことしか言わない人の話しなんて

どこからか聞かなくなるんですから。

ルールは親が決めているんです。


親は自分が苦も無く、当たり前に出来る事を

子供に求めているという事だよねと思います。

自分が生きてきて、一番有効だった当たり前のやり方を伝授したいんですよね、親って。

それが言えない人は、世の中とか、世間を主語にして話す親になるんですね。

私はすごく

親のリアクションが気になるタイプの子供だったってことですね。


禄存・司禄が弱いと、余計なことはしなくなるというか

相手のリアクション必要ない、とか気にしないで、

早い段階で、親と自分を切り離しやすいのかなと思えたもりします。

余計なことをしないも才能なんですよね。

ついつい余計なことをして、相手に関わりたくなる。

相手のリアクションを要求してしまうのは、欲張りですね。

とここまで書いてきて、自分はとても禄存・司禄的な世界観で

生きているなぁと改めて気がつきました。


禄存・司禄の人は相手からのリアクションが欲しいからやる!に

本気で自覚的な方が苦みを感じずらくなるのでは?と

折々に自分に言い聞かせています。


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