人と人をつなぐもの


映画「きのう何食べた?」を観てきました。

タイトルが示すように、この映画は食べることが大事なテーマですよね。

何を食べるか?
誰と食べるか?
どんな状況で食べるか?など。

食べるってエロティックだなと
とても感じさせる作りで、見つめ合って
互いが美味しいと思うものを
一緒に食べるという、そのシーンがとてもエロティック。

食の好みとか
味覚が合うというのも、人と人をつなぐ大きなモノだなぁと思わせられました。

一緒に暮らしながら、食が合わないはそれなりのストレスでもある訳だし、
パートナーと、どこが一致でどこが不一致でもいいのかって
自分でもなかなか、すぐ分からなかったりしますからね。

始めは小さな差異だと思ったものが
積もり積もって大きな決定的な亀裂になることもありますしね。

調和を求め合う人達もいれば
刺激や変容を求め合う人達もいます。
人には、それぞれのパターンもありますしね。

算命学ではその人の環境や人間関係や行動様式を読む時に、命式の中の地支(12支同士)の位置関係で見ます。命式内にいくつもその位置関係である位相法を持っている人もいれば、持たない人もいます。

私は持たないタイプなので、環境や人間関係や行動様式に対して、自分としての型のようなモノが弱いなと感じています。パターン化されていないと言えばいいのでしょうか?
位相法は現実を動かす構造であり、人としての行動のプロセスを示しているので。

母親がとても強いパターンというか、型を感じさせる人で、その在り方が私には長い間の謎でしたが、算命学で位相法を学びはじめた時、自分の中には無いので、わからなさを残しつつ、理解する手がかりを得た気がしたのです。

位相法が無い者から見ると、合法でも、散法でも位相法を持つ人は、その人のパターンをとても感じます。
それが、いいとか悪いではなくて、パターンがある方が自分らしさや、自分のクセなどが
早く分かりやすいのかな?と思えますし、自分として道筋も見えやすいのでしょう。

そういう意味で考えると、私のように位相法を命式内に持たない人は、その時々で自由でもあり、環境や、運勢に影響を受けやすいタイプと言えるのでしょう。

人との在り方に主体的で、自分としてのパターンを持つ人と
自分なりの関係と言うよりは、相手次第、環境次第のフレキシブルな人と
本当に、人と人をつないでいるものは多種多様です。

ただ、自分たちをつなぐものが何かが、お互いに
もしくは、自分としてだけでも、分かっていることがとても大切だと

この映画を見終わって改めて強く思いました。

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