「バンクシーって誰?」展に行きました。
私は文字通り、バンクシーと聞いても全く知識が無くて、家族に知っているかと聞いてみたら、アートに全く興味の無い夫もバンクシーの名前は知っていました。
Wikipediaによると
「バンクシー(Banksy, 生年月日未公表)は、英国を拠点とする匿名のアーティスト(路上芸術家[1])、政治活動家、映画監督。
彼の政治および社会批評の作品は、世界各地のストリート、壁、および都市の橋梁に残されている。バンクシーの作品は、アーティストとミュージシャンのコラボレーションを伴う、ブリストルのアンダーグラウンド・シーンから生まれた。」
先日、2018年に落札された直後にシュレッダーで裁断されかかった作品がおよそ29億円で落札されたとニュースが報じていましたね。
そういえば2018年の時に作品がシュレッダーにかかるシーンをやはりテレビのニュースで見た気がするという印象しかなかったのです。名前は覚えてなかったのです。
基本、美術展とか、美術館へ行くのは好きなので、よく知らないアーティストだったのですが、お誘いに乗ってみました。
映画のセットのような、展示型の展覧会で、会場内は一部作品を除いて、写真撮影も可能でした。
とても、面白しろかったです。12月5日まで開催中です!
生年月日が分かっていたら、早速命式を出してみていると思います。
作品とその姿勢から、とても反骨精神を感じました。
名前も顔も生年月日も分からないのに、その作品とその活動の在り方にとても個性を感じました。個性化されて一般の私たちの日常まで届いているアートですね。
占い師になってから、「個性」というテーマはよく考えます。
人はみな一人一人違うので、みんなそれぞれに個性があると言えますが、それは一人一人の
違いということですね。
バンクシーのような、人がやっていないことや、表現方法も工夫する、サービス精神と
なんか面白そうという感じとか、自分にしかないやり方を魅力を行動として積み重ねて行くことで、他の誰でもないバンクシーとして個性化されているということをとても感じました。
何を言ったか
何をやったかの積み重ねが、その人を物語っている。
それが個性化ですよね。
作品や、活動のみでその人が人物がちゃんと存在している。をとても強く感じました。
何を考えていようが、どれだけ脳内でこねくり回してしていようが、他者には、言語化してアウトプットしたり、行動として示さないと何も伝わらないは、占い師になってから痛感しています。
そして、より多くの人に伝わるためには、わかりやすく一般化されないとダメだよなぁと思うのですが、私の調舒星は一般化を嫌います。
嫌うけれど、そうしてまで、伝えたいこと、
行動していきたいことが、自分に本当にあるのか?が大切なんだよなと試行錯誤しているのですが、
それが出来ないと、自分の世界は広がらないは分かっています。
でも、バンクシー展に行ってから、考えてきて、広がるより先に、まずはバンクシーにある精神性やスピリットがまず、自分の中にどれくらい在るのか?
誘われて行った展覧会で、かなり刺激されて、もう一か月経過したのに、ついつい考えているので、今夜は自分のために書いておきます。