初年期(若年期)生まれた時から二十代半ばくらいに天報星があれば、特に飽きっぽい、物事が続かない。
あと少しなのに、中途半端で終わる。
と天報星を初年期に持つお子さんについて、何を考えているのか?
あと一息がんばれば、有終の美が飾れたり、資格が取れたりするのに、と嘆かれてご相談されることが、最近続いたので、お伝えしたいなと思いました。
もちろん、ご相談下さった方には、その場でお伝えしていますが、限られた鑑定時間の中で
上手くお伝えできたのだろうか?という反省は常にあるんですね。
そして私も初年期天報星の者として、言わせてもらえば、もう散々子供の頃から、物事が長く続けられないという事を責められて育っています。
自分でも、中途半端な人間だなと思っています。でもそれはそんなに悪いことなのでしょうか?
他者から見て中途半端でしかなくても、いや、自分でも中途半端だなと思っていたとしても
それでも、生きられるし、その中途半端がもしかしたらその人の前進力や生命力かもしれません。
何かに染まりきらない魅力もこの世界にはあるはず。
そして、日本人は長く続られることや、有終の美への憧れや賛美が強いですよね。
確かに継続は力なりですが、これからはもっと自由に試行錯誤する力。
何度でも始めていける力はとても大切になってくるはずです。
そもそもが、いきなり自分にとって100%のものなんて、見つけられないし、初めからセンス良く、70%や80%の対象と出会ったり、選べる人なんてそんなに多くないはずなのに、始めたんだから続けるの呪縛が強すぎます。
そして選び取ったモノや、せっかく始めたのにというその物事の耐用年数だって、分からない時代ですからね。
続けて行くことが良いという価値観で言えば、天報星は言ってみれば、試行錯誤を続けて行く力があると言えるのでは。
天報星は常に迷いと選択の中で、変化が無いとダメなんですよね。
天報星は胎児の星なので、母親の胎内でスゴイ速度で成長するプロセスを持って人生を生きて行くという側面はその人の中に含まれているんですね。
そして、天報星に限らず、間違えることで、痛い目を見ることで学んでいく人もいますよね。(私もそのタイプです)
そのような人にとっては間違えることで学んでいくことが、ある意味正しい成長なので、その動きは止められないですし、本人はそこに納得感を得て生きて行けます。
そういう子供が我が子であるは、ツライと思いますが、間違えたり、やり直したり、試行錯誤しないと気が済まない性分だとご理解いただきたいんですね。
それは、理性や意識でどうなるものではないと思っています。
なので、天報星を持つ者としての課題は、中途半端な人間と社会から切り捨てられずに、どうやって人としての信頼を得ていくか、どう自分のキャリアを築いていくかなどは、真摯に試行錯誤しながら見つけて行くしかありませんが、それも天報星に限らずに誰にも同じことかなとも思えますね。
みんないきなり自分に嘘のない居場所や仕事や生き方にはたどり着けませんから。
少しづづでもわたしなりの日々を営んでいきましょう!