2023年の初めに思うこと

占星術という象徴を扱うことと向き合いながら、私は一を聞いて十を知るタイプでは、全くないので、何事も理解も歩みも遅く自分なりの実感が必要なんです。
言い換えたら、痛い目みないと学べないおバカさんタイプです。火傷するから気をつけてと言われる前にもう触っちゃったみたいな失敗を子供の頃から繰り返して来ました。

占いを学び始めた頃は、その時抱える苦しみがあり、それを手放したくて、始めたのですが、そしてその時抱えていた苦しみからは解放された。
でも人生は続くので、生き続ければまた異なるというのか、新たな苦しみはやって来ますね。
または自分の苦しみとか悩みのパターンはあり、同じ穴にハマることもありますね。
弱点ってものは誰しものあるので。

やはり生きるとは、自分を試されていくことなんでしょうかね。

それでも、占星術を用いて明らかになったことは沢山あり、無自覚だったことにかなり自覚的になれた。
これは、占星術の大きな効用だと思います。

自分が思いこんでいた自分が、全てではないが鮮明になりました。
更に言えば、思い込んでいた自分像は親からの洗脳や期待もありますよね。
占いを学びながら、自分の考えだとか、大切にしていたことが、実は外側からの要求に応えたいという反応からの思いだったと気がついたり。

それを書き換えるのは、かなり時間がかかりますよね。
全てがウソでもなく、ホントウも含まれていて、改めて自分の中の秤というか、
基準値を考えなおす、考え直さざるを得ないような時間が私のみずがめ座土星回帰の日々だったように思えます。

前回の20代の終わりに土星回帰で始めたことが、終わったり、続くにしてもメンテナンスやシステムの見直しを迫られたということもあります。

本当に、「何もないな自分」という無力感から、全力で「ある」を実感するための試行錯誤をしました。そして大事なものは変わってなかった。
一方で自分の欠点や弱さも目の当たりにしました。

補強を迫られてるパーツを痛いほど、事象として感じました。

いい年をして、試行錯誤している母親に対して、子供達はそれでもお母さんはかなり巻き返したね!と言ってくれたのは、親に褒められたことが無いと私が感じる欠落の痛みをよしよしとさすってくれた気がする。

改めて私は、子供っぽい人間で、魂はあんまり大人ではないのです。
それでも、必死で大人であろうともがいて来た気がします。
この年令になってもう無理せず
子供っぽい自分を肯定しようと昨年の秋くらいから思えるようになりました。

ずっときちんとした大人に早くなりたい!で生きようとしてきて、
勿論、それだけの歳月を生きたので、それなりに大人なはずですが、そして親になることで
自分の責任を果たす努力は真面目にしてきたつもりですし、その覚悟が私を成長させてくれたとも思っています。
この世界は努力が全て叶うなんてものでは無いと思っていますが、本気でコミットしたものは、応えてくれるとも思っています。

子供も成人して大人同士の家族になると、私が一番中身が幼いんだなを実感してます。
そして自分の中にある幼さを許してもいいと思えるようになれた。

こうゆうのって、自分は必死で隠そうとしても、他者にはバレバレなのかなとも思うのですが。

でも、個人として具体的目標でも、私のように「早く大人になりたい」という成長目標でも、目標を切実に持っているは大事な事だと思っています。
それが持てないと、自分の中にある可能性が育って行かないですし、私は無自覚だったけれど、「早く大人になりたい」というのは自分への期待値やビジョンでもあるので、生きるポテンシャルとしてはとても大事ですよ!と今なら分かります。


この年まで生きたから、ここからは無理なく生きたいと思えますが、
自分で自分を諦めたり、この程度と思っていると、人生は始まらないことばかりですよね。
やはり、節目節目で、自分を見直したり、メンテナンスしたり、新年の始まりに心新たに
何かを願ったり、目標を立てたりは大切です。

私も今年の仕事の目標を、例年以上にしっかりと立てて行きたいと思っています。
皆さまも、一年の始まりにあれこれ振り返ったり、所信表明をしたり、自分なりに思いを言葉にしてみて下さい。