何をやったらいいか分からない

最近、鑑定の現場で立て続けに、「何をしたらいいのか、何かやりたいけれど、見つけられない、分からない」という方と、話す機会が多いなと感じています。

それは、そのまま私に戻ってくるような、切実なテーマなんだなと改めて思っています。

私は、子供たちが大学生になった頃から、今から12年とか13年前からでしょうか、本当は、子供にしがみつきたいけれど、それは現実的ではないし、良好な人間関係を自ら放棄するような事だし、
と自分に言い聞かせて、せめて「趣味」なるものを探そうと、
躍起になっていた頃があります。

その前に、何か「仕事」を頑張ろうとしたけれど、会社勤めは、闘いや苦しさでしかなかったので、切り分けて、「趣味」かとあれこれ、探したんだけど、これ!と言えるものは簡単には、見つけられなかった。


本気で何かを探さないと、居場所がない気がして、切実な焦りもあったのだろう。
でもやりたいことは、簡単に見つからなかった。
今振り返ると、やりたいことを探しに、外へ獲得するためにフラフラと出て行ってみたけれど、私の場合は、本当にやりたいことは、自分の内側を、しっかりとのぞき込まないと、見つけられなかった。

そして、何度も、見つけたつもりのものを、疑って、
手放してしまいそうにもなったのだ。

そんな試行錯誤をしている私を視て、ある時、他人に、「どうして一番欲しいものに、手を伸ばさないのか?」という問いかけをされた。
その時ですら、「一番欲しいものって何?」って感じだった。

それなりの時間を必要として、仕事をしながら、学びながら、暮らしながら、自分なりに、「私はこれがやりたいんだ!」をつかみたいと求めていた。
そして、なんだこんな単純なことなのか!と気がつくまでに、本当に私は、遠回りばかりして来た気がする。

みんな、自分のやりたいことも、欲しいものも分かっているんだと思う。
でも、それは、端から捨てている。
到底自分ではつかめないとか、辿りつけないとか、その欲望を瞬殺してる。

考えてみようともしていない。
そしてそういう自分に、なかなか気がつかない。
だから、本当にある、自分の中の欲望や、魂の叫びとか、心の声という表現でもいいけど、
自分の声を、すぐ聴こうともしないで、否定してたら、捨て去っていたら、どんどん自分の求めていることなんて、薄れて消えて行く。
探せども、探せども、出てこない。
だって、一番最初に、最も素直に、自分の中に浮かび上がってきているものを、見ようともしないで、捨ててたら、どんなに自分に問いかけても、見つけられる訳はないのだ。

私にも、自分を幸せにしない枷が、自分の中に沢山あって、でも、その枷の中に居ようとしているのも、また私だった。
一回、そういう枷や今までの生き方で求められてきた制限を忘れて、ただ素直に、出来るとか出来ないとか、実現可能か、不可能かとか関係ないところで、自分の欲求を受け入れてみると、それが実は、本当にやりたかったことではないだろうか?

それを簡単に考えもしないで、捨て去らないで、どうしたら、やり始められるか?やり続けられるかを考えた方が、人生には有効だと思う。というのが今は、実感としてある。

そして、上手く行くかどうかなんて関係ないと思えて、開き直って、自分にGOサインをだせたら、本当にやりたいこと、好きなことなら、自分なりに、好きにやり続けられるはず。
自分で自分にGOサインを出せないで、その手前でウロウロしている人が沢山いる。
そして、私もそういうひとりだったと思う。
だから、他人から見たら「「どうして一番欲しいものに、手を伸ばさないのか?」って言いたくなるもどかしさがあるんだなとわかった。

占いの現場で、お伝え出来ることは、いろいろあるけれど、あなたが本当に何を欲しがっているかを知っているのは、あなただけですということ。
でも、そのことに気がつくためのお手伝いや、問いかけは占いの現場で出来るんです。

朝起きて、何を真っ先にやりたいのか?とか
何を今食べたいとか
ずっと行ってみたい場所があるとか
無理と決めつける前に、一度立ち止まって、やりたいと思ったことは何でも出来ることからやってみよう。
出来ないことも、出来るような環境とか、状態とは何だろうかと攻略方法を考えた方が、あてもなく、街を彷徨って、私が求めている「何か」を探し続けるより楽しい。

答えはいつもシンプル過ぎて、それゆえに、私たちは見過ごしてしまう。
「家のドアにとまっている青い鳥」は私の月のサビアンシンボル。
自分の青い鳥は、いつも自分のそばにいる。