GWですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?
私は人生初の箱推しというか、K-POPアイドルをグループとして好きという体験をしていて、というかもっと単純にただその音楽が好きなんだけど、だから特定の個人の推しはいない。今までもバンドを好きになってもその中に好きな個人はいたのだけれど。今回は誰が好きではなくグループとしてなんだと思っている。
若い男の子は自分の中でときめきの対象ではないのだ。昔から。だいたいおっさん好き。
アイドル文化を知らず、アイドルには興味のない人生だったので、いろいろ学んでいる。
アイドルは、過酷な商売という感想を抱きつつ、初のファンミーティングなるものに参戦して見ました。楽しかったけどね、予測してたより疲れた自分が残念でした。
もうここからの人生は、好きなことをやり続けるためにも体力だな。節制だなと切実に思う。仕事を維持管理するためにも健康ですよねという、至極当たり前のことに行きつくのですね。
先日も占いの現場で、もう50歳だからという言葉に出会った。わたしは50歳は大事な時期だなと今、振り返って思っている。40代はまだまだ若いけれど、目の前の課題に必死な時ですよね。キャリア的にもっと豊かさを目指せるかとか、子育てに追われているとか、正念場という時期なんだろう。
でも50代はそれまで自分が向き合ってきた仕事なり、家庭なりのそれなりの評価というか、結果が見えて来て、それを受け止めてそこからどうするかを、うっすらと考えていく時じゃないだろうか。
私はそこが自分の居場所ではないと知りながら、生活のために勤めていた場所はその当時は60歳定年だった。辞めたのは54歳の時だった。あと5,6年、60歳までそこに居ることが自分の中で、イメージ出来なかったし、もうそこに居ても自分はそこではそれ以上成長しないな、何も私にもたらさないというか、そこにいることに意味や価値は見出せなかった。
我慢する意味や価値は人生にはその時々であると思う。
我慢する先にどうしても欲しい、獲得できるものがあるならば、誰にだって人生には我慢はつきものだろう。
でも無理は長続きしないし、人を蝕む。辞めると最終的に決断できたのは、職場で親しかった人が亡くなったからだ。無理をし続けた結果として。彼女と出会った意味を日常に風化させたくなかったから、やっと自分として生きると決意できた。
同じ年頃の人が多かったので、更年期などのカラダの節目の時期に、健康を害する人が多いなと正直感じていたし、今思えば、私もあの頃はもっと不健康だったのだ。毎日頭痛がしていたな。すっかり忘れてたけれど。
私も役割に生きたし、みんな役割を背負っているけれど、50歳を過ぎたら、その役割には定年とか、子供の巣立ちとか、終わりが来るから、その先をどう生きるかを考えて、少しずつ何か出来る範囲で準備を始めて行くのには、大事な時期なんだなと振り返って思う。
占い師は年老いても出来ることとして、学び始めた時はイメージしていたけれど、実際は50代でスタートしていて良かったと実感している。
好きなことにも、やりたいことにも体力は必要なので、来年のことなんて、若い時とは違う意味で想定を超えてくるを知っている年頃だからこそ、今始める。今日から始めるに越したことはないと思っている。
今日、私もずっと面倒だと逃げ腰だったことを、新たなテーマとして掲げて行こうとやっと決意したところです。チャレンジしていくと決めた。
新しい出会いを受け入れて、人生や自分を諦めない人と、これからも出会って行きたいし、何より自分はそうやって進んで行きたいと、ファンミーティングを初体験して改めて思う所です。
座ってばかりいなで、歩いて動いて行かないとね。行きたい場所も、欲しいものを自分で動いていかないと始まらないと、疲れが残るカラダで思う。
疲れてでも、面倒くさいと思ってでも、それを超えて行くかと思えることってホント大事だなと痛感中です。
皆さまも引き続きさわやかなGWをお過ごし下さい。
5月の麻布十番・占いカフェ&バー燦伍さんでの対面鑑定日は