10月も月半ばになってしまいました。
秋は転じていく季節ですが、皆さまそれぞれに盛り上がったり、トーンダウンしたりしながら、転じているなという様子を、今週の燦伍さんでの対面鑑定でジワジワと感じ入っていました。当日おめにかかった皆さまありがとうございました。
私が占いってものに、ふと目が留まったのは、何かで読んだ松村潔先生の「占いは森の中の地図に成り得る」という意味の文章に出会った時なんです。
当時もう十分に、森の中で迷子になっている自分を感じていたから。
そしてその森(迷い)から出ていけばいいだけと本当は知っているけれど、まだ森を出る勇気をどうしても持てなかったから。
その森(迷いを生む環境)に、まだ価値とか必要性があると思っている自分の欲を手放せなかった。
「知る」から「わかる」に移行するまでには、それなりの時間とプロセスを必要とした。
「わかる」に移行できないと、カラダは動けないのだ。わかるとは行動を、この身をともなってそうせざるを得ないというところまで行きつくことなんだと思っている。
だから、まだ知っているけれど、わかりたくないと、自分の中で闘っている人は、たくさん試行錯誤しようよと声をかけたいし、私自身も常にそうやって生きるしかないと受け入れられるぐらいには成っている。
他人にこっちが、最短ルートですよと言われても、あえて他人が通りたがらないような道を行きたいのだ。自分にはそっちの方が未知や、面白さが勝っていると思える道を、好き勝手に散策するような、遠回りしたい欲望に生きたいならば、生きるしかないのだ。
そういう他人に出会えると、私はどこかでとても懐かしい気分になって、自分の中でしみじみとした情が芽生えてしまう。
自分で知ってみたくて、確かめたくて、占いの森に分け入ってきたけれど、やはり占いはその森の景色を、いまその人がどんな場所にいるのかを指し示すことは可能なのだ。
そして地図として差し出して、いくつかのルートや、方向性を見出すことが出来るけれど、どっちに行くか、森を抜けていくのか、まだまだ森を散策するのかは、私は人それぞれに、自由でいいと思っている。
正しい道なんてない。歩いていることが大事。
見つめてる自分の森の景色が美しかったり、楽しかったりすることにより興味がある。
遠回りしたい欲望は欲望として、ちゃんと解消する方がいいんだと思っている。
来月も燦伍さんでの対面鑑定で、その時々の時期によるテーマやトピックを、占いという切り口で共有できたらと願っています。
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