宿命中殺お茶会について

お知らせで告知いたしましたが、念願の宿命中殺お茶会を7/1に企画致しました。
ただいま、参加者募集中です。→ お問い合わせ

いつかやりたいなと思っていましたが、どんな形でやるかはずっと考えて、脳内ぐるぐるしていました。それなのに、なかなかブログでは、宿命中殺については書けなくて、いや書きあぐねていました。ここに書き記す技量は、まだ私には無いのですね。

でも、ここにはまだ書けないけれど、参加して下さる方と話すことは出来るという事柄はありますし、話したいなという素直な気持ちがあります。

そんな時に今回、ご一緒して下さる廣田璃波先生の自分ばかりが“特別”じゃない。それぞれが特別なのっ!を読んで、是非、廣田先生と一緒にお茶会やりたい!と思いました。

言わないでも通り過ぎていけることを、あえて言葉にしてくれている人の存在って貴重です。もうそれだけで、廣田先生も特別な存在だと私は思っています。レッテルなんて欲しい人もいれば、うるせー、勝手に貼り付けるなって人もいる。みんなそれぞれ、様々ですよね。

私は無駄に考えてしまう、妄想過多の人間ですが、一応無駄と書いてみたが、無駄と言う
より、癖か。
考えて、ぐるぐるして1周回って2周目とか…。
だからこそ、言葉にしてくれる、形にしてくれる、行動してくれるってスゴイなと思っています。

中殺ある人なら、経験あるでしょう。ポロって言った一言が場を冷やすみたいなの。
そんな時、優しい人は、「やだー、柘榴さんって面白い!」みたいな反応。
若い頃、私もいっぱい言われたよ、柘榴さん天然だねとか。
私は、若い頃、(まあ、今もそうですが)ふわふわしたキャラではない訳ですよ。
なのに天然とか言われる。意味わからん!と思ってました。そしてそういう事柄について
私の調舒星は考え続けるので、面とむかって「変人!」とは言えないから言いかえてるだけだなと気がついてゆく。

同じ日本語話していても、言語感覚って人によって違いますよね。
でも、漠然とした暗黙の了解的な範疇で、会話して、その言葉に対する共通認識がズレていたら、なかなか真意って伝わらない。
それは、宿命中殺があるとか、無いとかを越えた事柄だと思います。

私が占いを素敵だなと思ったことの一つに、占い語を学んだら、その占いの言葉の意味は
みんな、誰でも初めは、知らない言葉として、意識的に学ぶ、獲得して行く言葉なんだなと言うこと。

学んだ共通認識として得た言葉で、人と語れること。
漠然と日本語使ってるより、はるかに豊かに人と語れるではないかと思えたから。

これは、占いに限ったことでなないでしょう。
宿命中殺持っている人は、出来るだけ、特定の分野の専門用語で語る場所に行くと
広がるものがとてもあると、私は思っています。

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