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過去の記録の編集から未来へ

記憶は、今の自分に都合がいいように、もしくは今必要なトピックで編集されているものだなと、改めて感じ入っている今日この頃です。 私は人に指図されるが嫌いですが、子供時代は親に指図されるのは、まあまあ当たり前ですよね。 私の親は過保護だったので、指図も細かく多かったなという記録があるのですが、もしかしたら、そういう場面ばかりを、私がせっせと集めて、自分の中に留めてきたのかもしれません。 親に指図されたくないけれど、親の言うことは受け入れないと、生き抜けないという環境の中で、明確に、親に言われたからそうするのではなく、親に言われたことを受け入れたのは自分の決断だ。と、思うようにしようと決意した時の事は、はっきりと覚えています。 イヤイヤ親の言いなりではなく、それを受けいるという決断をしているのは、私だ。 という主体性を持たないと、自分の中の、葛藤を納められなかったので、毎回、自分が受け入れた=決めたのだと言い替えていました。 この言い替えが必要だったのは、親の意見を受け入れた時、物事がうまくいかなくなってしまったり、失敗した時に、猛烈に親に対する怒りが生まれてしまい、怒りを抑えることがなかなかに困難だったし、怒ると疲弊するので、そういうことを避けたい、やめたいが私のその時の、一番の欲求だったからです。 親の意見を受け入れたのは私だから、怒るなら自分にとか、悪いのは自分だと思う方が、楽だったからだと思います。 怒ってみたところで、現実は何も変えられない、他者を責め続けても仕方ないという徒労感を繰り返したくなかったからです。 それよりも、失敗して人のせいにして、それを責めてしまう自分が、本当にイヤだったんですね。 でも、そうやっていくうちに、素直な自分のやりたいとか、私はこうしたいが、どこかに押しやられて、しまったたんだなということが、ここ数年で自覚できるようになりました。 結局、その時々の、素直な自分の心の声や反応を、無理に頭でコントロールしてしまうと、心はどんどん反応が悪くなって行き、自分の欲求や、こうしたいという欲望が、よくわからなくなってしまうんだなと。 昨年、自分に期待するという部分を、育めてなかったという気づきに、襲われて、自分でびっくりしました。 それぐらい自分にとっての当たり前って、無自覚に横たわっているものですね。 そこに気がついたのは、他人と交流して、話し...

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お知らせ「4/26占い娘フォーチュンパーティ@新宿御苑」に出馬します!

思いを織り交ぜよう

新たなサイクルへの準備

『親子関係「心に引っかかりがある」人のためのワークショップ』3/28(土)開催します

お知らせ「親子関係『心に引っかかりがある』人のためのワークショップ」3/28(土)開催します

3月のお知らせ

自発的挑戦の春へ

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立春からの始動への意欲

2月のお知らせ

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