初心忘るべからず

私の日干は庚です。五行では金性となります。
今年は「戊戌」ですので、土生金で私には「龍高星」の一年となります。でもぼんやりしてると土に埋もれた金ともなるので、今年は動いて行こうと決めました。

占い師としての名前を考えている時に、どういう占い師になりたいか、自分のめざす方向性が見えないと名前のイメージも
つかめません。自分に無いものを今更求めても仕方ないけれど、じゃあ、自分にあるものとは?
去年はそれを自分に問いかけ、検証するような時間でした。

私は妻で母で、二人の娘を育て、次女が今月大学を卒業して、
4月から社会人となれば、母親の役割も一段落です。
子供の学費のために、向いてないと知りながらパートで10数年
働き続けています。子育ても会社勤務も今の私を育ててくれたと思っています。
それでも、間違った方向に全力で向かっていたと占いを学び始めて、やっと理解しました。私は生月中殺の生まれです。毎日が天中殺です。でもちゃんと笑って、元気に生きています。
私も大変だが、親も大変でしたねと今なら言えるので、同じ宿命中殺の方に
お伝え出来る事があるのでは思います。

アウトプットの大切さをわかりながら、向き合えなかったのは、自分の変人と言われる部分を受け入れ難かったからです。
頑張れば、もういい大人なんだし、周囲から浮かない私として、他者の様子を良く観察
すれば、自分に無いものでも体得できるのではと、信じていたところがあります。
諦めがつかないというのか、認めたくないという葛藤ですね。その過程でどんどん本当の自分の言葉を封じ込めて、ぼんやり暮らして、苦しくなるばかりでした。
でもその葛藤を乗り越えないと何も始められない。
踏み出せたのは、占いを通して出会えた方々がみなさん、魅力的で精力的で素敵だったからです。そして絶妙な距離感で優しい。私も私として自分の言葉で語り、人と出会い、繋がり、いつか別れてゆくなら、素敵だと思える場所で活動する事にしました。

玉紀先生と名前の相談の途中で、一息いれようと、預言カフェに行きました。
そこで言われた言葉は、私を励ましてくれました。
私の初心表明として残しておきます。
 「ユニークなもの、良い意味で変わっている、人と違った観点、アイディア
ただ面白いとかではなく、みんな緩慢に、鈍感になっている所に水をかけると目が
さめる。そのような良い刺激」となれるといいのですが。そのような方向を目指していきます。

世阿弥の書いた「初心忘るべからず」は始めた頃の初志ではなく、物事を始めたばかりの
慣れていない、無様さ、みっともなさを忘れることなく精進せよというのが本来の意味だと、以前どこかで読みました。
初志とともに、今の自分の拙さを忘れずここから成長して行く道のりを、このブログで
みなさまにお伝え出来たら幸いです。