私の貫索星大運~10/11ウラナイ・トナカイお店日記

私は約7年前に貫索星大運(自我が強まる)に入いりました。
そして今年の年運は龍高星(破壊と再生の星)です。
昨年までは現実的な出来事があれこれ押し寄せてきていて、大運を意識して暮らしていませんでした。いまいろいろ切羽詰まってきて、決断したことを具体的にして行くことに、試行錯誤中です。

来年の年運は玉堂星になるので、もう少し耐えたら、運気とともに気分も変わるのではないかと期待してみたり。
試行錯誤の日々の中で、ちょと冷静に自分の過去の出来事と大運・年運との兼ね合いを見つめてみたところ、年運に「貫索星」が回る年に、だいたい大きな決断をしていました。
自分の陽占に「貫索星」を持ってない分、ヴィヴィッドに反応してしまう感じです。

今年の年運の「龍高星」は、自分の陽占に持っているので、過去には特に事象的ではありません。

やはり、決定的なのは、自分の命式に無い「車騎・牽牛星」が大運で来てた時代はシンドクて辛くて、鍛えられた気がしています。
その後、年運で「車騎・牽牛」が回って来た年は、自分の中で役割を求めて、
世の中や社会へ自分を押し出して、新しい環境と向かい合おうとしている時でした。

「貫索星」が年運で巡ってきた時は、自我がはっきりします。
私の場合はもういいですと何かを捨ててり、断ち切ったりしてきた年でした。
その結果としての新しいことの始まりでした。

貫索星大運、守る力が強くなり、たやすく折れない10年です。
10年は長いです。
私は本格的にパートの仕事を始めたのは、玉堂星大運でした。きちんと周囲に交って社会の中で学んで行こうと思っていた訳です。一方で自分のメインは「母親」であること、と決めていたので、現実として子供達が私の腕の中に居られた時間はブレなかったのです。

子供が育ち、手放していくと決めたことから、テーマが消え去り、寂しさと共に、貫索星大運で、運気に、自分とは何かと?とまるで十代の頃のように問われてしまいました。
そして、現実はこれでもかと問いかけるような事象を投げつけてくるんです。

更に、今の仕事場に入ったのは10年前の天中殺の時でした。
すごく「いい人」に成りたいと思い、全方位的に気を使い(自分としては)。
覚悟してその場にいるのだから、他人に楯つかないと決意して入りました。
なのに、天中殺が終わり、玉堂星大運が去り、貫索星大運が訪れると、気がつくとまた私はそれまでの自分として、環境から浮いていたんですよね。この敗北感から救ってくれたのは占いですね。新しい視点を得たので。

そして、自分としてやってみた、努力はしたその挙句、ダメなんだってことは、負け惜しみでななく、土要素の強い、体験型の私には必要なことだったし、やったから身についたことは確実にあるんですが、結果が出るまでが長すぎたと思っています。それは司禄星中殺ゆえかと受け止めています。
(司禄星中殺・司禄星はコツコツと積み重ねていく特質がありますが、それが中殺されているので、時間をかけて積み上げたものが形にならない、間違って積みあげていても
結果が出るまでも時間がかかる)

努力が苦手できちんと頑張るが苦手な人間が、頑張ってみた結果が間違っていたというのは、何だかなあと思いますが、世の中に、私みたいな人間、お仲間はそれなりにいらっしゃると思います。
やってみてわかることと、やらなくても分かっていることは答えは同じでも意味は異なると思っています。

そして、間違っていたら正したり、やめたり、壊したりすればいいんだと貫索星大運で
龍高星が効いている今、強く思っています。まず、やめたり、壊さないと再生は無いんだなあと自分に言ってる状況です。

ご自分の年運や大運を過去の出来事と照らして合わせて、内省出来るのも占いの魅力のひとつだと思うので、おすすめします。


紅谷柘榴