2018年の終わりに~12/20ウラナイトナカイお店日記



私は、先週、10年以上在席していたパート先の会社を辞めました。

そもそもが、自分に会社勤めは向かないは知っていた。
向かないけれど、出来ないとは思いたくなかった。
自分が出来ないと逃げていることを子供達にやってみろというのは、どうなんだろうという思いもあった。

今回辞めた会社の前にも、数年間、いくつかの職種にチャレンジもしました。
その上で、充分に条件や、私でもやれそうな範疇ということで、考えて選んだ場所でした。専業主婦でいたら、学べなかったことを沢山教えてもらいました。感謝しています。

仕事場では自分を薄めて、大勢の人間の中に紛れて、自分と家族の生活を守れれば、問題なしと割りきっていた、割り切れなくなったら辞めようと決めて始めたから。
私のメインテーマは子育てだからと、子供に集中していたら、会社の事は家の中まで追いかけてきたりしなかった。

でも、時間は経過して小学生だった子供達は大学生になり。
もう、どう考えても小学生のレベルでの母親を求めない。大学生になった長女と1,2年すごく揉めた。そしていつまでも子供に依存していたらダメなんだと、つないでいた手を私から放すと決めたら、思いのほか、大きな穴が私の中にあいていた。

じゃあ、その穴は仕事をもっと頑張ろうで埋めようと思ったら、会社ではそんな余分なエネルギーは必要とされていなくて。
意識を仕事に向けたとたん、いろいろ社内でうまく行かなくなった。
その前から、うまくなんていってなかったのだろうけれど、単に子供の事に夢中で気にならなかった。

パートもパートを管理する社員も生産性のための数字に追い立てられている。
本当の意味での生産性ではなく、数字のために求められる生産性。
その中で、心や身体を壊していく人達を同じ職場で見つめてきた。

鬱になって、回復するためにどれだれの時間と治療費と努力を必要とするのか。
ストレスから体調を崩して、命にかかわる人もいる。
不要になった、上手く使えない人間を追い詰めるような辞めさせ方もいくつも見てきた。
人間関係も、会社の空気も殺伐としてくる。
私達、何をしているんだろうか?という気持ちになってくる。
それが当たり前の景色となり誰も声も出さない。でもそれが普通でいいわけがないと思う。

そんな、現場にいても辞めるのが、ダメと思い過ぎている。思わされ過ぎている。
続けるのが美徳?ボロボロになって命削っても続けるの?と問いかけてしまう。

病む人、立ち止まってしまった人を負け犬と言い捨てられない程、その数は増して来て
いると、10年パートで働いて思っている。

安定が大切と言いながら、身体を壊していてそれが、安定と言えるの?
もう既に安定なんて壊されているのに。

わたしが無事なら、関係ないとはもう思えなかった。
もう、病んでいるのにそこから、逃げだせない人を見ていたくなかった。
殺伐とした不機嫌な人の圧を押し返すのも疲れる。

人はその立ち位置次第で、同じ景色のはずなのに違った角度から異なる景色として見いるというのも、事実。
やりがいがあったと言って辞めたくないのに、家庭の事情で辞める人もいるし、
日々、その現場で元気に頑張っている人もいる。
この仕事が向いていて楽しいと言う人もいる。それも事実。

私は苦しかった。
でも、打たれ強くて。
その分、私の被害者意識は増大して不機嫌な圧となって周囲にまかれていたと思う。

仕事は辛くて当たり前、頑張って当たり前なのかも知れない。
でも、私はもうその場所では頑張りきれない。
頑張らなくてもいいとも思わない。
ここが、本当に自分の頑張るべき場所なのか?
時期なのかを見極めろと思っているだけ。

いつでも、どこでも死闘なんて出来ないから、本気で命賭けて闘うなら
場所を選ぼうよってこと。
みんな、自覚なき死闘を繰り広げないで。
勝ち目の無い闘い方は止めようよって言いたいだけ。
みんながみんな同じやり方でどこでも、いつでも頑張り続ける世界は私には生き苦しい。

それでも、辞める勇気は、本当に私にも必要だった。
会社という組織を集団を良しと思えない私のような者でも
いまあるものを手放すのは恐いのだなという思いとは、充分に向き合った。

私は、ここでは歯車には成りきれないと、
みんなが出来ることが出来ないよと、諦めがついてから、ダラダラと仕事をするようになっていた。
新しいことも覚えらえなくなった。
自分の中で職場での仕事を諦めて、からまわるやる気を失って初めて、私は周囲に素直になれた。

こんな私ですが、できるだけご迷惑かけないように、隅にひっそり置いて下さいと、やっと謙虚になれた。
向かっていったり、吠えたりしなくなった。
被害者意識を捨てられたから。

それでもダラダラと仕事して、日々、職場で眠気と闘う。
こうやって自分の人生の時間を使い果たしていていいのだろうかと、いつからか、自分に問いかけてながらも、すぐには動けなかった。

自分の人生の残り時間、体力、気力を、漠然とした不安を呑み込めないそのために、
費やすことはもう出来ないと決めるきっかけは人にもらった。
背中を押してくれた彼女に、もう返事はもらえないけれど、ずっと心の中で話しかけて生きていこうと思っている。

諦めて、被害者意識を捨てられたのは、占いを学んだからです。
占いを学んで、確実に私は自分の狭い世界を少しづづ広げられるようになっています。
私には、今年は本当に変化の大きな1年でした。
龍高星が年運で巡ってきて、根こそぎ更地にして行く勢いでした。
人とも出会い、別れ、泣いて、笑って今年も暮れて行きます。

紅谷柘榴