自分の星を生きよう

毎週木曜日は南阿佐ヶ谷のウラナイ・トナカイ(南阿佐ヶ谷
昼の部・11:00~16:30
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算命学では六親法で命式に与えられた人間環境が読み取れます。
自分と配偶者 
父母
母親の祖父母
父親の祖父母
配偶者の両親
子供とその配偶者
の六つが陰陽五行の十干の六親図として表せるのです。

私は日干庚なので、自分を生じる(生む)のは己(日干が陽なら陰)が母親の干と成ります。

陰占から自分の母親の干を探して見た時にそれは、中殺されている月支の中にありました。それを知った時に、なんだか自分が母親へのこだわりを捨てきれなかった意味が
分かった気がしました。

あらかじめ中殺されているからこそ、中庸な関係性を保てず、こだわり過ぎて、求め過ぎていたんだなと、やっと客観的になれた気がしました。



先日、ファミレスで、早めの夕食を一人で食べていた時に、一つ離れた席にママ友なんだろうなという二人連れと遭遇した。

その一人の声が一オクターブ高い感じで、声が響くので、聞く気が無くても話している内容が筒抜けで聞こえてきていた。
その人は実家への不満と、子供の大学受験の話しが中心で、そのことに一生懸命なんだなという感じがパンパンに詰まっている感じの声でした。

何だか何年も前の自分のことを見ているような気がした。
話している内容の出来事が自分が主語では無い。
母親がこうだ、父親がこうだ。
息子や娘の受験内容もそうです。

どちらも、自分の出来事ではなく、親に対して娘としてどうあるべきか
子供に対して母親としてどうあるべきか
そして、求められる自分の役割に生きているけれど、
そのことで、どれくらい自分が耐えているかとか、苦しんでいるかとか
そんな感じでした。

私もそうやって暮らしていた。
私の母親はそうやって役割を生きようとしている私に今が正念場だから
頑張るしかないと言い続けていた。

かつての私は実家の母親のお嫁さんとの問題点や、母親が抱えている不満も
自分のことのように受け止めていた。
私の母親は自分の姉とずっと、嫁として舅姑に使える苦労を嘆き
その後はいまどきの嫁に耐える苦労を嘆き
生き続けている。

でも、ある時、母は何も変える気は無いんだと、つくづくわかり
それは、私の人生の問題では無いんだと気がついたので、
私は母親世代から聞かされ続けた、そんな価値観は捨てたのだ。

子供に自分のやりがいや情熱を、うめてもらっていた時間は
私にも確実にあったけれど、
もうそれも終わらせないと、「害のある母親」としていずれ娘達に
認識されるのかと思うと恐怖でしかなかった。
大好きな人に嫌われたり、疎まれるって怖いです。
娘達に私のことを欠点の多い人間だけど、
気持ち良く生きていると思って欲しい。

母親がいて、私がいて、娘達がいることの、つながっている点であることの
意味を知れたことは有難いし、
自分が母親を生きたことで、「母親への幻想」から解放されたのも事実。

中殺だから、加減がつかめず、過剰にこだわってきてしまった。

親の考える子供としての正しさを求められることは苦しいですが、
親も子供から母親として完璧さやこうあらねばを生きている限り求められ続けるのも
それはそれで苦しいと
いまなら分かります。

私のこれからの時間は
自分が楽しいこと
私が主体の日常を、好きな人達と
優しいトーンで語りあえる日常を
生きたいと思う。

自分の星を使えることが、あなたをより自由にすると信じています。
みんな好きに生きよう。

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