何を選びとるのか

明日はウラナイ・トナカイ(南阿佐ヶ谷
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人生、どこで何に出会うかは、自分の想定を超えてきます。

私は、実家が寺院で、今思うと、勤め人の家庭に生まれてないのも意味があるんだろうな。田舎とは言い切れない、埼玉のベッドタウンのまちで、それでも寺は地域に根差して
暮らしていました。地元の情報が沢山入ってくるような環境だったんですよね。

檀家の人が寺に来たら、茶飲み話しを沢山していくので、あそこの家の嫁は出来が悪いとか、あの家では永らく病んだ人がいて大変だとか。でも寺なので、人の誕生よりは、死についての話しが圧倒的で、どこの誰がどういう状況で病み、死んでいったという話しは日常で、それを変だ感じる事もなく、育ったので、世間で良い死に方や、恥ずかしい死に方などと言いますが、観念としては理解できるけれど、死は死でしかないなと思っていた。

大人の話しが大好きな子供だったので、いつも耳をダンボにして聞いていた。
そして、いつしか不幸と呼ばれるモノは押し寄せてくる習性があるらしいと考えるように成りました。それは大人が言ってる世間一般の不幸。

樹木希林さんと内田裕也さん夫婦ではないですが、後を追うように逝く夫婦はけっこうい多い。自分の誕生日の近くに亡くなる人も多いので(何故かは知らないけれど)私の父は
病んでから、自分の誕生日の近くはピリピリしていました。

良くないことはどうも続くらしいって感じていたので、でもいいことだけの人生もある訳ではないも、幾多の人の人生の物語を聞かされていたので、知っていた。

だから、自分のところに良くないことが訪れたら、逃げ出さないで、しっかり闘うしかないと思っていたし、気持ちで負けると、不幸はかなり、ぐいぐいと押し寄せてくるものだと、なんとなく感じていたので、負の感情を引きずっていても、いいことは無いと、それは言い聞かせて生きてきた。

たぶん、これは今でいう引き寄せの法則なんだろうな。
暗く、うつむいているとそれにふさわしい現実が押し寄せて来て
明るく、元気な人にはそれにふさわしい現実が訪れてくるってことでしょう。

より良い現実と出会っていくためには、まずあなたの本質を知って欲しいと思います。
花の乙の人なら固く生きるより、柔らかさが魅力だし
私のように庚の鉄の人がふわふわした感じを求めても、良さは現れないとうことですね。
算命学を使って、あなたの強みや魅力を改めて知り、より良い自分、自分で自分に居心地よくなって欲しいと願っています。

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