壁は自分自身だ~5/16ウラナイトナカイお店日記

もう平成の終わりの頃の話しなので、随分昔の気がする。
令和になってますます時間の速度が早まっていると思う。私的に。

4月の10連休のことが遠く感じます。
私は10連休は家族のことに費やした。
まあ、基本それが私が今まで大事にして来たことだし、これからも大事なことです。

西洋占星術で私の太陽は6ハウスと言われても初心者の私には、ずっと全くもって、ピンとこなくて、労働なんて私は嫌いだって思っていました。
未来永劫自分の太陽を獲得しないのかしらと思っていた頃もある。

でも最近、労働の意味を取り違えていたのかもなと理解した。
Twitterで6ハウスはやっかい事のハウスとか悩みのハウスという言葉もひろったよ。
そう言われると、ちょっと納得。
家族や大切の人のために、あれこれ動き回るのが自分のやるべきことの現場といわれたら
頷けるのだ。裏方の人間ですな。裏方で人を仕切るのは得意です。

算命学では南にある星が、そのひとが一番やりたい事って言ってます。
私の南は司禄星なんですが、なんだかなーって感じしかなかったのですが。

この10連休中に家族の行事(?)にまみれて、結局私は、自分の一番やりたいことを
ちゃんとやってきたじゃん!を実感しました。
そこが、ピンとこないのは、自分のことって自分が一番良く知っているけれど、
自分への幻想もあり、自分で自分は分からない。
自分の顔も背中も自分では、そのままでは見られないですからね。

16歳の時に病気になりそうなくらい、自分探しをして、本気で考えた続けた結果、
自分の中に答えはないと結論は出ていた。自分の中に本当の自分なんて無いと知ったので
他者を獲得できた気がします。

あの時から、自分のためというより、他者を通しての自分しか立ち位置は無いのですが、
そこが、不器用なんだという事との、闘いを占いがどんどんほぐしてくれている。

占いを始める以前にも、自分の生きる場所はちゃんと自分らしく獲得できていたんだと改めて分った。ただ不器用だし、司禄的に選んだ人にしか自分の裏方的能力は発揮出来ないが自分の壁ですね。そして占いを学んで、私が自分の満足のために自分の司禄をやりたいために、子供たちに拘り続けたらダメだを知ってしまったのは、啓示なんだろうなと思っています。

口で言葉でどう言ってみても、私は愛してる人達の事をこまごまと面倒を見て、自分のことより、家族のやっかいごとを引き受けたり、かたずけたりすることが自分の在り方だった。子育ては本当に楽しかったけれど、初めのうちは、自分の母を習っていたので、私としては、厳しめの母親過ぎたなという後悔があるのだ。

射手月らしく、もっと大らかに育てても良かったと、思います。
上の子供は甘え下手なの(自分も含めて)。
もっと長女を甘えさせても良かったんだよなは占いを学んで知って、彼女に無い要素を
私の娘でしょ!という当たり前で求めてしまい、傷つけたこともあるので、子供に謝るなんて出来ないと頑なに思っていた、私が娘に謝ることが出来たのは、占いが自分の壁を破ってくれたからですよ。

占いって、自分の本当のところを、ふっとすくいあげてくれる面白さと際どさがあります。
占いで自分の業のようなモノを見てしまう瞬間もあるけれど、それは見たくない人には
見られないし、身につまるような言葉も聞きたくない人には聞こえないものでしょうと私は思っています。

でも見えた時、聞こえた時、それは必要なことなんだと思う。
10連休中に関西に行き、大阪で岡本太郎さんの「壁は自分自身だ」という言葉に出会いました。身に染み込ませて帰って来ました。

紅谷柘榴