向かい風

先日、冷たい風が吹く日に土手までウオーキングに行った。

向かい風だった。

against the wind

いつもだったら、ウオーキングや犬の散歩や自転車で走る人が

それなりにいるんだけど、さすがにその日は、冷たい風で時間も

昼時だったからか、ほんとうに人が居なくて。

好き勝手に自分だけで歩いているのが、すごく気分良かった。

風が冷たいのは分かっているから、ちゃんと対策して行きました。

みんなが好む、陽気のいい日は人出も多いけど、冷たい向かい風の日にわざわざ出てくる人は少ない。

向かい風は抵抗があるけれど、他人との距離感や人の速度を気にしないで歩けて気分いい。

みんなが行かない方向

みんなが避けたがる向かい風の方に進むのはひとつのやり方としては

有効だと思っている。

まず人に煩わされない。蜜にならない、混みあわないので、自分のペースと風の吹き方を

計算していればいい。そういう戦略ありでしょう。

でも冷えないようにとか、吹き飛ばされないように、準備や対策は必要ですね。と考えながら歩いて、

途中で引き返すと、今度は追い風になった。

みんな追い風を喜ぶけれど、追い風って向かい風より転びやすいと私は考えている。

自分のペースで歩けなくなる瞬間がある。

ふわっと体を押されて、自分のバランスを崩す。

追い立てられて歩きたくない。追い風嫌いだなと体感する。

向かい風の中でも倒れたり、吹き飛ばされそうにも実際はなるんだけど、

自分が向かっていってるっていう姿勢の方が単純に私は好きなんだなぁと思う。

あとは、わざわざ人が避けるむかい風を選ぶという天の邪鬼。

でも、人それぞれだから、穏やかな時期を苦しいと感じる人もいれば

嵐の日々に活き活きとする人もいる。

古くからある占術は長い年月を生き抜いてきた素晴らしい叡智ではあるけれど、

人は普遍性を携えつつ、成長と進化を続けていると私は考えているので、

占術の概念を今を生きる私達にそのまま当てはめるのは、スッキリしないと考えます。

女性を取り巻く環境も、子供を取り巻く環境も、50年前とは大きく異なる。

伝承されてきたものを守る価値と

伝承されたものを現代語に翻訳して活用する価値は

それぞれ認められていいはず。

ある命式をみて、厳しい人生ですねとしか言えない並びに読むことは出来る。

でも、その読みに今を生きている人を押し込めるのは間違いだし、

何をもって厳しさとするかは、それぞれの人の感受性に委ねられている。

占い師がいい命式、悪い命式と決めつけていいはずはない。

確かに運気として、挑戦する時、耐える時、穏やかな時などそれぞれあるけれど、

それぞれの運気の体感としての良し悪しの判断は、本人に委ねられていて、占い師が決めつけるモノではない。

地に足のつかない人生を悪いモノと言うのは容易い。

でも、地に足をつけるのが苦しい人もいるだろう。

他者からそう見えるその人の人生にも

普遍的な光も影も朝も夜も春の日も冬の日もあるのだから。

弱点はだれにでもあるし、課題も問題点もある。

でも悪い命式や救われない並びなんてものは無いし、

良き命式と呼ばれる日に生まれても

環境がtrapになる人もいる。

大切なのは、あなたがどうしたいか。

どう在りたいかだし、何を選んで行くかです。

というスタイルで私は占いに向き合っています。

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