最近切実に願うこと




私の周囲には天将星を持つ人が沢山いる。
算命学を学び始めて、天将星持ちは馬力がある
そのエネルギーは一生で簡単に消化できないくらい最大値だから、苦労した方がいい。

自分の子供が天将星持ちなら、早く手放して世の中の荒波に鍛えてもらえみたいな
教えに耳を傾けてきたし、
天将星に手を貸すな的なデフォルトされた文言を自分も
発信して来ました。

それは、あなたのためを思ってという余計なお世話でしかないけど。

かつて、私が占いを嫌いだと思っていたのは
占いって制限だよなと思っていたからです。

こうしないと上手くいかない。こうすれば幸せになれるというのは
「こうしなければ」という制限ですから。

制限されることに敏感な人間は占いを受け入れたくないと思って当然でしょう。
世の中には制限という名のアドバイスが溢れている。

そして人は聞きたいことしか聞かないのです。
それは必要な機能だとも思う。

何でもかんでも聞いてたら
自分として生きられません。

私も我が家の天将娘を早く家から出さないとと思いつつ
それは私がスタートを切れる事柄でもないし、
放り出したくもないし、
他者の指図を受ける娘でもない。

晴れ晴れと見送れる状況で
送りだしたい。
だから、早く一人暮らし出来るといいね、応援しているよというスタンスです。

でも、現実の今の世の中で
自分の収入で家賃を払い、食べていくのはなかなか厳しい。

朝早く起きて、夜遅く帰宅して、数時間の睡眠でまた次の日を迎える。
そんな子供の姿を見続けていると
つくづく、大好きな人が苦労している姿は見たくないなと思う自分を改めて発見する。
でも、ぐっとこらえて口出しはしない。

テレワークでの日々も
それはそれでの問題点も見えてくる。

私は知人にもそれは甘やかしていると叱られたけれど、
外で疲れて帰ってきた人には、温かい飲み物や食事を提供したいし
自分の方が負荷が少なければ
出来る家事は賄いたい。
自分が好きでやっているの!と言い訳して。

私にとっての家は安全基地のイメージだ。
自分の育った家がそうではなかったから、
自分が欲しい基地を築くが私のモチベーションだった。
強い要塞作りたかったんだなと今なら分かる。

世界が厳しくても
ほっとできる場所があればこそ
またそこから人は
外に向かって行けると思っている。

一番身近にいる人達と
出来るなら親和的に生きたい。

そのためにも、今年は家から巣立つ人を
見送れる年にしたいと願う。
現実の厳しさとの狭間で。