私は占いを学び始めるまで、自分は言いたいことは言うタイプなので
他者に取ってわかりやすい人間なのではないかと思っていた。
少なくとも、何を考えいるかは伝えるタイプの人間という自負もあった。
けれど、占いを学び、「理解されずらい要素を持つタイプ」であると知った。
今の私の課題は「どう理解されること」を意図して行くか、
言い方、伝え方、理解されなくても、私という存在をくっきりとさせることの大切さはずっと考えている。
プロフィール欄を上書きしようとか、自分を1分間で自己紹介してみよう的なことをあれこれ考え始めて、穴にハマる生月中殺。
人の個性や強みは観えるのに、自分を探っていくと、さまよってしまう。
常々、私にとって占いは簡単ではないと書いたり、言ってますが
これも上手く伝わってないのかもと、ふと思った。
「簡単じゃないから続く」の後ろに、だから楽しいんですってば!って付けないといけないのかもなと。
自分にとっての当たり前の言葉を省略してしまう傾向が強いのかも。
私は頑張るより、楽しい面白いの方が強い。
いや人はみんなそうでしょと思われる方は
私の仲間で、世の中は頑張る力が強い人達が支えているなぁと思います。
私は気が乗らないことは基本出来ない。
50代にしてそう言い切れるようになった。
時間も体力も貴重な自分のリソースだから、イヤイヤ何かやってるのはつまんないし、
やりたいことの方が大事。
明確な目的意識があることのみしか頑張れない。
基本的に頑張り力は装備されていないので、必要な時は他のエネルギーから借りてくるイメージなので、とても消耗する。
なので、期間限定とか、走るなら次の信号の場所までとか、範囲を決めている。
分かりやすく、例として
私はタロットは占い師として必要だから学び、早くタロット使いこなしたいとか
先輩占い師のタロット鑑定を見習い、あんなふうに鑑定できたら楽しそうとか
いいなぁと思っている季節が長かった。
でも、自分とタロットとの関係は上手く育めなくて、全くダメだなと、能力?才能?
ないんだなと思って傷つていた。
でも今は能力の問題ではないと分かっている。
私はその頃、タロットそのものを少しも面白いって感じてなかっただけだと分かる。
タロットそのものに興味がなかったら、面白いって思えないなら
発見や成長はないんだよね。
最初はつかみどころのない世界を、教えてもらって、すぐ出来ない。
わからない。
だから学ぶ、試行錯誤してみる、その過程で自分の中に理解や発見があるからこそ続けられる。
簡単しゃなくて、苦しいけれど、自分の中で何かヒットした瞬間が気持ち良い、面白い。
出来なかったからこそ、
あっ出来そうかもとか、出来てたじゃんみたいな瞬間の旨味成分みたいなものが強烈に来るので、もっともっととなって集中していく。
なので、近道はない。
私がタロットを使えるように成りたい!を一度捨てて
タロットって何?と対象の成り立ちや仕組みに興味を持てないと
「タロットの世界」ってスゲーとか、面白いということに触れないと私の世界の一部に
成りえないんですよね。
占いは私に、いっぱい新しい発見をくれるから、「そうなのか!すごい!なるほど!」
の連続の喜びがあるから、止められない止まらないになって行くんだとおもいます。
で、人は自分の好きなものには、そんなこと無意識にやってしまっている。
無意識に出来る好きが一番強いけれど
「獲得」したいなら、獲得した私にこだわるより、獲得したい対象とコミットする。
だから、何かに成りたいより
何をしていたいが大事なんだと思います。
志は大事だけど、現実を動かしていくのは自分が生み出せる「状態」だよね。
それを思っているより、それをしている。
それを日々しているということの強みが人の強みになって行くんだろうなぁと
自分の強みについて悩み始めた私がいま辿り着いた場所。