別れが似合う人・田村正和さんを悼む

 昨夜、俳優・田村正和さんの訃報を知り、胸が詰まった。

亡くなったのは4月3日。春に逝ってしまった。

ご本人がラブストリーが好きと言っていたのが記憶にある。

私が田村正和という俳優に惹かれたのは、TBSの金曜ドラマで

「土曜日曜月曜」(1981年)で浅丘ルリ子さんと演じた

別れのシーンがいつまでも焼き付いて離れられなくなったから。

山本陽子さん主演の「黒川の手帳」(1982年)での別れのシーンも忘れられない。男と女が別れるシーンで男の人の痛みをいつも素晴らしく表現されていた。

西暦1943年8月1日生まれ


鳳閣天堂
祿存龍高龍高
天馳龍高天堂
午未天中殺


日干・辛の宝石の方

硬質な純度の高い宝石

美意識も自意識も高く、自分の世界観のある品位とプライドの人。

龍高星のスタイリッシュ感

宿命二中殺。月日と年日に半会を持ち、強運と自由な才能の人。

従星が天堂星の老人星二つで、派手じゃないなと思うんですが、そのエネルギーは中殺されているので、落ち着きを見せながらも安定しないエネルギーですね。

唯一、中殺されていない従星も天馳星ですし、二中殺は現実生活を普通に生きるより

芸能界で自在に自分の世界観を創りあげていくことに適していますよね。

自分の世界にこだわりがあるし、自立心、研究心は極まっている。

とても頑固な人でもあるでしょう。

中殺されている星が全て精神星で龍高星と鳳閣星の激剋があります。

客観性の高い人です。

俳優の橋爪功さんが共演した時に、

「田村正和さんは自分自身の商品としての価値をよくわきまえている人物である」と評したと書かれたものをどこかで読んだ記憶があります。

俯瞰力と客観性を感じさせるコメントです。

私が田村正和さんをずっと見続けてきたのは、変化していく人、チャレンジしていく人で

あったからだと思っています。

人は変わりゆくものですが、時間に変えさせられるのではなく、自分からアップデートしていける人の魅力です。

ご本人いわく「自らこういう役がやりたいと要望するのではなく、スタッフにこういう役をやらせたいと言われる役者でいたい」と。

私の記憶の中では、美人女優の相手役の二枚目俳優&時代劇俳優という場所から、

1980年代に田村正和としてブレイクしていくときの、

勢いや見ている視聴者をいい意味で裏切りつつ

それでも田村正和という唯一の存在感を増していく様が

見ていて本当に楽しく、ワクワクした。

1984年の「うちの子にかぎって」で、それまでの田村正和の二枚目イメージを覆した。

頼りない生徒に振り回される先生役を見た時の楽しさは忘れられない。

その後も「子供が見てるでしょ」(1985年)

「パパはニュースキャスター」(1987年)

「男たちにによろしく」(1987年)

「ニューヨーク恋物語」(1988年)

「パパとなっちゃん」(1991年)など面白い作品、夢中でみた作品を沢山思い出せます。

憂いある二枚目ドラマとコメディドラマを自由に行き来していた。

今ではそれは、俳優としてめずらしくもない在り方かも知れないけれど

それを40年前に具現化してスターになった人だと思います。

それでもいつも田村正和は田村正和という確かな世界観。

そして、そこに安住しないで、1994年から古畑任三郎で更なる境地を拓き、

10年以上演じ続ける当たり役を生み出しています。

素晴らしいなと思います。沢山の人達を楽しませてくれましたね。

でもニッチ指向の私が大好きな作品は1983年の「夏に恋する女たち」です。

何度も繰り返し見た。

今年、私は断捨離でテレビドラマを録画していた大量のビデオテープを

ほとんど捨ててしまったので、もう脳内再生しかできないのが少し寂しいです。

でも、一人の俳優を40年以上、ずっと見続けていられた喜びは

自分の中に沁みわたっています。