こだわっても実りがない

私は子丑天中殺生まれなので、現在天中殺期間中です。
昨年はもともとプチ引きこもり体質なので、
家をベースに暮らすようになって、むしろ
煩わされるものが少なくて、居心地良いかもと思っていました。

そこから、1年以上が経過して、さすがに
少し苦しく、行き詰まる感じがあります。

人から煩わされることもあるけれど、人から沢山の刺激やエネルギーをもらっていたんだなとも感じます。

数少ない友人ともずっと会っていません。

でも、来月、ちょっとした外出に誘われて、とてもワクワクしたので
やはり人は不要不急だけでは、生ききれないですね。

コロナを名目に、余計な人と会わなくていいは本当に有難くて
世の中が落ち着いても、もうコロナ以前の親戚付き合いなどに、復帰できるとは思えません。
ずいぶん、バカみたいに母の満足のために、自分の時間や労力や気持ちを差し出してきたなぁと、
その時間をストップしてみて、気がつきました。

たぶん、過剰に尽くしていたんだと思います。
その渦中には気が付かないものです。

私は屈託ない子供や娘であった時は
自意識が芽生えてからは無いんですね。

親に求められる「娘なんだから、こうしなさい!」には
思いっきり抗っているつもりだったけれど
自分の中に「娘なんだからこうあるべき」
目下の人間としてこうあるべき、生徒だからこうあるべき、部下としてこうあるべきを
抗いながら、とても内包している人間だったんだと気がつきました。

そこにこだわりの無い人は自然に屈託なく、ふるまえるものです。

子丑は目上運がない。だからそこにこだわるな!です。
北の方向(精神の過去)である親や目上の場所が欠落しています。
子丑の人は南の方向(精神の未来)である子供や目下の方向を向いて
自分を初代とした家系の流れを作りましょうです。

でも、私は南を向くのを妨げるような、午未天中殺生まれの親がいました。

私が会社勤めの中で自分に上司運が無いと気がついた時
常に「上司なんだから責任をもった言動をしろ」とか
「上司なんだからもっと上手く人を育てろ」とか
上司の役割や仕事に対してこうあるべきでしょ!って心の中でも、言葉にしても
いつも言い続けていた気がします。

最近、親や上司という目上と関わらない生活の中で気がついたんですよね。
私が「こうあるべきとかこうしろと」親や上司に
言い続ける、求めているということは、彼らを頼っていたということだったんだなと。


子丑天中殺生まれなら、頼らず、こだわらず
自分でやってしまった方がいいんですね。

そして、同じように自分にも
目上からみた目下としての自分の役割にもすごくこだわっていた。
その事がわかりました。

娘としてこうあらねばとか
部下としてこうあるべきとか
生徒とか、弟子とかでもいいです。
そういう立場にあるとき、自分はとてもこうあるべきにこだわって
勝手に自分を縛っていたんですよね。

私は目上から自由でありたいと渇望しながら
目上から自由であるとは考えられなかっただけだった。

目上が何をやろうが、言おうが「目上は目上」
「私は私」でよかったんです。

むやみに反発したり、変に盲目的であったりしないことが
子丑天中殺生まれの人には大事ですね。
そうすることで、自分は自分として生きていこうという姿勢を確かにしていける気がします。

午未天中殺生まれは子丑にとって反対側の位置の人です。
午未は目下にこだわらない方がいいのに
「子供とはこうあるべき」「娘としてこうすべき」に
こだわり、親としての自分の役割にも縛られています。
相手をつぶすまでやる感じでした。

そうやって私は親とガチに四つに組んで戦ってしまって、
実感としてそこにいい実なんか育たなかったと言えます。

無いものに集中しないで、成果があがらない役割は捨てて
もっと自由に自分をより生かしやすい、自分としての実のりがある
場所に早めに移動していきましょう!