「鎌倉殿の13人」を観て思う、組織で生き残るということ

 

皆様も日曜の大河ドラマをお楽しみでしょうか?

2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」面白いですね。

私は歴史モノは好きですが、熱心な大河ドラマファンではありません。歴史ドラマってつまらないと、本当に小学生の作文みたいに、こういう事がありましたという史実の羅列で終わるパターンが多いですから。

変えられない史実の中で、どこまで物語でないと伝えられないこと、書けないことを描くのか。そこに生きた登場人物にどこまで肉薄出来るのかが醍醐味だと思っているので、そういう意味で今年の大河ドラマは面白くて、痛くて、せつなくて昨夜も泣きました。

佐藤浩市さん演じる上総広常が殺された時も、昨夜の菅田将暉さん演じる源義経の死も

仲間であり、身内であるはずなのに、才能があったり、力があり、存在が強くても、目上に上司に、リーダーに疎まれる、もしくはその才ゆえに、力ゆえに、存在の強さや輝きゆえに恐れらると、組織では生き残れないという残酷さが、痛いほど描かれていました。

そして、史実が示す、生き残る者である主役の小栗旬さん演じる北条義時には、何があるのか?

困ったような笑顔で、人のために、みんなのために、家族一門のために、自分の出来ることを解決していく、具体的に動ける、取り立てて野心も、強い個性も感じさせない義時は、

ドラマの始まりでは、いい人だった。

命じられて動ける人。上司である源頼朝が恐れるような、才能のある、キレある人物としては描かれていません。使い勝手の良いひとなんだと。

梶原善さん演じるアサシン善児と義時が並んで歩いているシーンで、この二人やっていることは同じなのかと思えました。単に表で働くか、裏で働くかの違いでしかないのでは?と。

この先、義時がどう生き残っていくのかを、最後まで見届けたいと思いますが、人は才能だけでは生き残れないのですね。

そしてこの時代だろうが、現在だろうが、生き残れるとは、運の良いことなのでしょう。

死にゆく人達は、才もあるが、どこか不器用で、ある意味ピュアでした。広常も義経も。

そう描いているんでしょうけれど。

組織においてはピュアでは生き残れないのですよね。

一方で、意識せず、覚悟を決める間もなく、濁を呑み込んでいく義時。

取り立てた才能のないことは私たちは嘆いたりしますが、極まった才能のままに生ききるのは、選ばれたお役目のある人なのでしょう。

会社や学校などの組織の中で、過不足なく生きられることも、充分な能力ですが、ドラマが描くように、組織は非常で、その実誰をも守ってくれないのだとしたら、私たちは組織に

生きる力を奪われたり、命を脅かされたりもしますので、これからの時代は、組織でというより、より切実に、この社会で、この世界で、ひとりひとりが生き抜いていくということを

考えていかないといけないと、コロナ以降の世の中の出来事が示していますね。

清濁併せ吞まないと生き残れないから呑み込めるか?自分に問いかけながら、なんとか日々を生き抜いていきましょう。

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