今週は月曜日から、みんな出勤して行って、やっと家の中で1人だ!これで通常運転だと私は自分がさぞ、解放感を得て喜ぶのかと期待していた。
でも現実は気が抜けて、むしろ独りが寂しくて、ぼんやりとしてしまった。
お昼も一人で自分のためだけに、料理するのは、全然気が乗らなくて、なんなら食べなくてもいいかとも数日思った。
あらためて、私が健康にきちんと暮らして来られたのは、家族のお陰で、自分だけでは、あんまり稼働して行かない人間なんだなと実感した。そして他者からエネルギーをもらっているタイプなんだとも思えた。
気が抜けたせいか、気圧のせいか、体調も悪くなっていた。でも、そこを超えて、やっとまた通常の毎日が自分の中で戻ってきた。
自分の中の過剰さをとても実感した。
私の命式は東も南も司禄だから、外側に対象を必要としている。
その対象はだれでも良いわけではなく、主星調舒星のセンサーを通過してきた人やモノが司禄的に日常として必要なんですが、中殺されているので、ちょっと過剰なんですよって感じ。
調舒司禄の連携は反応が必要で、12日間、すぐ反応がある日常にどっぷり浸かってしまったので、何も反応のない世界に、いきなり放り出されたので、自分が上手く対処出来なくなってしまっただけ。だと思う。
本当に、じっと誰とも喋らないでもいられるし、喋り始めたら止めらないとか、自分の中にある過剰さは、なかなか、上手く手懐けられない。
でも、きっと私の過剰さが他人を疲れさせたり、うんざりさせるのも知っているので、それは適宜気をつけているが、溢れてしまうんだよなぁと思い知らさせる。そういう時は本当に自分が情けなくなりますけれど。
きっと占いを学ばなければ、自覚しづらかったと思う。
他者からそうじゃないと指摘されるまで、ずっと自分は無趣味だと思っていたり、
根を詰めるって何ですか?って思っていて、何度も何度もかかりつけの歯医者の先生に注意されないと、自分が根を詰めるタイプらしいも気がつかなかった。
自分の感覚では、私はズボラなテキトーなタイプだと思うので。自分の過剰さは自分では、つかみづらい。自分の当たり前って、本当にわからなかったりする。それが自分にとっては普通のことだから。
私の五行の流れは、陽占で言えば司禄で止まるので、止まる星にエネルギーが流れ込む。
身近な人間関係が大事だし、当然そこに過剰さも出て、関わりに執着しやすいと知っているから、大事なモノを壊さないように、エネルギーをもう少し広い人間関係や担える役割に分散させるために、努力している道の半ばです。
主星調舒星は東にも南にも火生土で生じてしまうのですが、まあ、南の子供や目下のためにというのは、自然な感情だとしても、過保護や過干渉になりすいので、それを防ぐためにも自分に集中しておくのが一番の家庭平和のはずです。火生土なら、生じられる方の星が強まるし、生じるとは消耗も生み出すので、反応が大事な調舒・司禄となるので、喜ばれないで自分を消耗するより、勝手にご機嫌に何かに集中してるねと私を遠巻きに眺めているくらいが、家族には良いのでしょう。
といういつもの結論に落ち着いています。