環境は学んだり、調和するもので戦うものではない


24時間戦えますかと言われた時代があり、
今日だって自分の環境と戦っている方は沢山いると思います。

人には限界がある。
今ようやく私は占いの世界に来て、多くのことを学んだり、訓練して、「頑張れば出来る」とか「やる気でどうにかなる」とか
「無限の可能性がある」などとは、とても言えないを痛感している。
痛感する前の自分が、そんな文言を信じていた訳ではないですが。
誰かに憧れるほど、素直でもなかったけれど、ふとあんな風に成れたらなと願う誘惑の瞬間は誰にでも訪れる。
でも、他のだれかのようになろうとしても、上手くいかない。
今は年齢も含めて、自分はここまでしか出来ないとか、これしか出来そうにない、その限界の中で、じゃあどうしよう?という切実さが生まれて来ている。

本気の時、人は何度もやり方をシュミレーションして、これしか手はないと決めて挑み、その結果でまた体制を整えるの繰り返しなんだろうなと思う。
限界を知るは大事なことです。

今は沢山の知識が獲得できる時代で、知識を追い求めたら、キリはない。
AIには勝てないし、集めた知識に埋もれて自分の中で整理できなかったり、
処理できなくては意味を持たない。
焦りや不安からただ知識を得ても、それが何を意味するのか?
どう用いるのか?用途は?
道具に凝り、道具を買い集めるより、ひとつの道具を使いこなすように、
どれほど、知りえたことを、実践していけるかが、問われていくんだなと思っているし、
人間の器の差・人間力の差は知識だけでは埋められない。

環境と戦っているつもりで生きていた時間は、何もわかってなかったのだと痛感する。
自分以外の者には成れないし、自分の本当の目的に向かわないで、言い訳しているうちに
時は私たちを置いてけぼりにするから、
気がついたら、いつからだって、自分の本当の目的や、課題や、欲求に立ち向かえたらいいと私自身にも、ここを訪れてくださる皆さんにも願っています。


本当に自分が豊かに、今日を生きている環境から学んだり、その環境に調和出来た時、人生は動いていくはずだから。
私は知識は好きだけれど、自分が不安定だと、持ち合わせた知識なんて、上手く役に立たないことも痛みとしてわかるので、自分が安定して、周囲と、環境と調和していたら、自分の持ちものや知識も、役立せる場所があるから、実践し上達していけるを教えてくれたのは、占いの世界でした。

かつての私のように、環境と戦って消耗している人は、その環境は本当にあなたが生きるに敵う場所なのかを、見つめ直してみて欲しいです。