大運が変わって


算命学では大運という十年ごとのテーマがあります。

私は大運が変わって、新しいテーマになり、自然と自分が大運の傾向、その方向性に向かっているんだなぁと感じ始めています。

私のこれからの十年のテーマは石門星が巡ります。

もう自分が自然と人と連携して行きたいとか、自分から人に開いて行きたいというテーマが生まれてきていると実感してます。この年で、社会性や仲間や社交性と向き合わされるのかという感じもするんですが、南へ向かう子丑天中殺の私には、明るい仲間との老後もテーマなのかなとも思います。

苦手で逃れたいたことも、人生の流れは見逃さない感じがして苦笑い気味ですが、受け入れて調和して行きたいものです。

昨年までの十年は貫索星だったので、もうそのまんま「私を作り直す」みたいな時間だったなと実感しています。付いてきた十二大従星も天恍星だったから、そりゃここではないどこかを求めて占いの世界へも頷けますね。

ずっと私の中では、占いを学ぶまで、若くして自分を発見して行ける人と、遅く目覚めて行く人の違いが謎だったりしてたんですが、大運の流れと大運における位相法で理解できました。

早熟な人とゆっくり成長していくしかない私のようなタイプとね。人の人生の流れやプロセスは本当にひとりひとりの物語だから、何が正しくて、何が間違っているということではありません。

ここからの十年の十二大従星が天南星なので、まっすぐに前進する心持ちで、生きられたと自分に願っています。

自分の大運の流れが分かっていると、自分のその時の傾向や、見ている方向性が理解できるし、過ぎてみても実にそのテーマだったなと納得感があります。

同じ星でも若い時に巡るか、中年期なのか晩年なのかで、その星の意味も当然異なってきます。私が若い時に石門星が巡っていたら、もっと友達や仲間と遊ぶ楽しさや時間を共有していたかもしれません。

人それぞれに成長のプロセスもテーマも違うので、他者と比較しても仕方ないとも思えます。大切なのは、自分のテーマから逃れるより、それは、今自分が生きて取り組むべきものなんだと自覚を持って生きた方が、思わね流れに呑み込まれないで過ごせるかもしれませんし、自分のテーマを意識化してあれば、その時どきの自分への理解や問いかけの糸口にもなって行くでしょう。

年運で十大主星は誰にもすべての種類が巡って来ます。自分の体感として、苦手な星や馴染みやすい星を分かっている人は少ないと思います。やはり自分の命式にない星は難しいかもしれません。もっと言えば自分の命式にない気は馴染みにくい、なかなかシンドイと言えます。私でいえば火気が無いので、丙丁の時ですね。大運ではもう通り過ぎました。

でもそういう時期はシンドイだけではなく、無いものを学ぶ、足りないものを運気からもらえるということですし、鍛えられます。ピンチはチャンスでもあり、それが中年期やこなれて来た動きやすいとしごろの方がよりあきらかにチャンスとして活用しやすいと捉えていただけたらいいですね。

みんな、自分なりの人生のプログラムを少しでも楽しめたらいいですね。

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