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調舒星なら、抗ってナンボなのかもしれませんが、最近の私は、抗ない世界をほんの少し体験し始めて、新しい人生の扉が開いている気がしています。
これまで、何度も、その扉は開いてないのに、全力でぶつかって撃沈したり、閉まっている窓に体当たりして生きてきた気がするんですが、闘うことがデフォルトだったのかもしれません。
でも他人から見たら、何と闘っているのか、理解されない、自分の悪足搔きの連続だったのかもしれません。
何かを悟っている訳でもないのですが、消耗しないで生きるのって楽だなを知っただけかもしれないです。
宿命中殺のある人は、自分を手放して、流れに任せろとみたいない文言には、全く持って同意出来ていませんでしたし、ずっとそれまでの自分を手放すのが怖かったのかもしれませんね。
若くて受け入れられなかったことが、歳月や自分の老いを受け入れることで、受け入れられるようになっただけかもしれません。
年を取ることは、悪いことではないと、少なくとも今日の私は言えます。
山羊座や子丑天中殺生まれは、年を取ることを、自分のものにして、歳月を味方にしないと生きる面白みはないのかもしれないなと、感じています。
かつて、露悪的でしか自分の立ち位置が見つからなくて、その反動でいい人でありたいとひたすら自分をムチ打ったりもして、でも結果的に無理は続かないのでした。
今は私は、いい人でも悪い人でもなく、私の中には善も悪もある。
陰陽の世界ですね。
世界は良いものでも悪いものでもない。
私はどうでもいい存在でもなく、かといって重要な何者かでもない。
そんなシンプルなことを、私のこととして、受け入れられたら、なんだかとても、楽に息していられます。
私は人生の長い時間を、自分が大切だと思っていた人を変えたいという欲望に囚われて生きていました。そしてそんなことは叶わなかった。
お互いに自分の正しさを、押し付けあっていただけだと気がついたので、そのゲームを手放しました。
誰かを変えることなんて出来ないし、そのために私が変わろうとする必要もなかった。
その欲望を捨てることができたら、いろんなことが楽になりました。
そのゲームは自分の存在意義を相手の評価に委ねることだったので、自分を証明したり、弁明したりすることに消耗していましたが、そこに自分の存在意義を求めることをやめたら、世界は、ぐっと優しくなったんですよね。
それは、私がもうこの私でいいじゃないかと、自分を受け入れられたからなんだと思います。私の生きづらさとは、自分自身と本当の所で手を取り合っていなかった、自分を受け入れてなかったからだったんだな、と今は思えます。
こんな私だけど、私としての存在を自分がちゃんと感じられると、抗うことにエネルギーや、命を消耗しないで、生み出したり、作りだしたり出来るのかなという予感を感じています。
抗うことが前進力の頃も確実に在ったのですが、今の私の興味は、抵抗や獲得では無い方向へ進んでいる気がしています。この私で、ここから先、どう私なりの調和を生み出せるかが、一番面白そうなので、建設的な、その方向へ進んでみようと思う秋の夜長です。