8/3の約1年ぶりの「揺月の会」にご参加下った皆さまありがとうございました。
私にとっては、楽しく発見のあるひとときと成りましたし、改めて、自分が占星術と向き合っていることの意味を確認しました。
「揺月の会」はご自身が生月中殺をお持ちの皆さまとの、実人生を生きる中での、それぞれの体験を踏まえて、自分のことを話していく、安心して聴いてもらえる、そして普段は周囲に寄せて、自己規制していることなどを、この場だからでシェアしていけたらいいなという私自身の発露から、スタートしています。
宿命中殺のある人は”モヤモヤして生きている”と形容されているのを、聞いたことがあります。
その時は、事実自分はモヤモヤしているので、そうだよな!と素直に思いました。
ですが、時間の経過と共に、モヤモヤするということは、そこには他者や、集団や、所属している世界とは、既に違うというか、わかってもらえなさがあるというあらわれだなと理解するようになりました。
その違いや違和感を上手く言語化できなかったり、自分なりに府に落ちることが出来ないから、モヤモヤする訳ですね。
それはある意味、欲求や発露のあらわれなんだなと、今は思っています。
本当は、それは、中殺があろうが、なかろうが、ひとりひとりは、他者とは違う存在で、違いを感じることが、自分が立ち上がるということなので、その違いは、拒んだり、忌み嫌うものではなく、そこに向き合っていく勇気が大事なんだと思っています。
誰もが欲求不満で生きたら、モヤモヤしますよね。だからそこは解消していくポイントなのだと、思っています。
算命学を学んでいくと、宿命中殺への表現が辛辣で、辛くなる方は一定数いると思います。
ですが、今私は他の命術や、卜術であっても、占いを学んでいくと、自分から目を背けたままでは進めなくなるポイントは、訪れる気がしています。
それは、結局自分が抱えている問題点や、見つめたくない葛藤や、繰り返すパターンに否応なく辿りついてしまうからなのかなと思っています。
そこから、自分が目を背けてしまったままでは、少なくとも私は、目の前のクライアントの命式やホロスコープやタロットのスプレッドは、読めない壁がやってくるなと、実感を伴って思う所です。私の抱えているものは、誰かの抱えている問題でもあるということを、占いを続けながら、改めて思っています。
その思いが、一歩前へと自分を押し出す力になっていくなと、「揺月の会」を終えて改めて思う所です。
明日は立秋です。これから秋の味覚の食べ物が、美味しくなっていきますね。私は桃とナスを楽しみたいです。
まだまだ残暑が続きますが、皆さまどうかつつがなくお過ごし下さい。
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