未来を照らす武器に


2026年がスタートしていますが、皆さまは年末年始をいかがお過ごしでしたでしょうか。

私は帰省した娘の風邪をもらってしまい、年末から年始にかけて寝込むという幕開けと成りました。

お雑煮が大好きなのに、元旦にお雑煮を作れなかったかったのは、結婚して初めての事でした。今回家族が集っているのに、娘たちからあれが食べたいや、作って欲しいとオーダーが出ていたのに、ほとんど応えらず、申し訳ない気持ちを抱いて、私は結構献身的なタイプなのか?と気弱な気分になった。

イヤイヤ私は決して献身的ではない。みんなに美味しいものを食べさせたい欲、楽しんでほしい欲が強いだけなのだ。それは献身よりも、支配に傾きやすい欲であることを私は知っている。だから単純にもてなされるより、圧倒的にもてなしたい欲が強いだけだと言い聞かせておく自分に。

人に世話されるのは、好きじゃないし、世話するのも好きじゃないけれど、自分の範疇である人々の面倒は見ると、勝手に自分の心の中だけで決めている。

昨年末に映画「兄を持ち運べるサイズに」を観た後で、私がどんな時でも、面倒を見ると決めている人は、この世界に5人もいるんだなと自覚したばかりだったのだ。5人という数は私には本当は多すぎるが、今更減らすことも出来ない。そことしがらみながら、出来るだけ互いの自由を尊重して生きたいと願いながら、進むしかない。

幸い買い出しに行った後で寝込んだので、家族は食べるものに苦労はせず、お雑煮は1月3日に成ってやっと作って出せたので、まあまあ何とかやり過ごした気がします。

娘がコロナでもなく、インフルエンザでもなく、ただの風邪で、もう咳が出ているだけなので帰省していいかな?と尋ねてきたので、NO!は言わずに受け入れました。このただの風邪に私も久しぶりに罹患した訳ですが、熱がそんなに高くないのに、2,3日続いて、カラダに応えて大晦日も元旦も本当に、ただただ寝て過ごしたら、世の中がぐっと遠く感じられた。

そして、世の中や他者から取り残されて、閉じた世界で、今年も来年も関係ないと思って生きていた頃の気分を思い出した。

占星術を学び始めて、人は占いを知っていようが、知らぬまま人生を賭け抜けようが、その時々の時期が占星術的に物語るテーマと、交差しながら生きているということ。

運気や時期なんて、引きこもっていたり、閉じた世界に生きていたら、無関係だ。

本当に生きたいと思えなくなった時に、自分の人生を自分で変えられない、未来に希望を持てない時に、人は時期なんて気にしない。

明日なんて来なくていいと思っている者に、未来予測なんて無意味だ。

だから時期を気にしたり、考えらる、明日や未来は、どんなだろうか?と思い描いたり、占ったり、出来ることは、実はすごくポジティブなことなんですよねと、私はとらえている。

それでも、その人のチャートや、大運や年運から、その人の物語や、テーマがちゃんと訴えてくるものがあるといういうことを、占いを学び続けることによって、信じられるようになったし、だからこそ活用も出来ると占いに取り組んでいる。

私には、今日を生きたくない、明日なんて無意味だという時期があった。占いなんて、なんら自分の人生には関与しないと思っていた長い歳月がある。

でもそんな時期を生き抜いて、その時期がテーマに掲げていたものを振り返ると、なるほどなーと思えるから、面白い。

どこでどう生きようと、自分が生きよう、生き抜こうと決めた時に、未来を照らす武器のひとつとして、占星術的な指針もあることを、知る人が増えたり、誰かが力にしていけるためのサポートを今年も、少しでも出来たらと願っています。

2026年もそうぞよろしくお願いいたします。