自分の人生を物語ってみる

占いを始めて、ただぼんやりと考えていたことや、感じていたことを、ちゃんと認識して、言葉にするという訓練というか、作業を続けていることで、実のところぼんやりとしていた自己像も、少しずつハッキリしてきたなと、歳月と共に感じ入ります。

夫とふとした時に、思い出話をしていて、夫は算命学でいう所の身弱の人なのですが、頑固ですが、欲が我の強い私より薄いです。

そして私の欲は人とズレているので、たぶん欲深さは強くあるのですが、人が欲しがっているものを欲しがっているとは限らず、普通に、世間的な価値観で人が欲しがるものを、私も得ているのですが、それは、勝ち取ったとか、計画的になどという実感を得られない感じがします。

具体的に話すと、どこからか石でも飛んできそうなので、書く勇気は持てませんが。

改めて、中殺的な人生だったのかもしれないなと思います。 良いとか悪いではなく。

我が強いから、コントロール欲はあるのですが、そもそも自分の人生を自分で、

コントロールなど出来ていない生き方をしてきたなと思っています。

かと言って、占いでいうところの運勢が、人生を創っているとも思っていません。

ただ、自分の人生を振り返った時に、「中殺的な人生だ」と言えるのは、面白いし、ひとつの視点として有効だと思っています。

自分の人生をこねくりまわして来たのは自分だという意識は、いまは、常にあるのです。

若くて、何がなんだかわからなかった頃は、自分の人生の希薄さを、なんて生きるのは苦しいのだとか、酷い世の中だとか、救われない環境だとか、嘆いて、厭世的な気分で自分と、自分をとりまく世界を認識していました。

でもその認識は、自分が選びとった世界観だったということも、いまはわかるし、どんな世界が来ようと、自分の「生きる」ことから、逃げださないで、日々出来ること、やりたいこと、を選びとれるのも人生だと、思えるようになりました。

いま、また、先月と先々月でおこなった「親子関係『心に引っかかりがある人のための』ワークショップ」を経たことで、

親の呪いに縛られていたのは、親の呪いに耳を傾けたのも、その呪いをどこかで信じ続けてしまったのも、私が選んた振る舞いだったなと、スッキリと納得できたので、ここから先は、別の声や別の言葉を、信じて生きるを積極的に選び取って行こうと思っています。

今月の5/31には「大運を語り合う算命学お茶会」を開催します。

算命学の時期運を用いて、ご自分の人生を、どう語れるのか?そこからそれぞれの方が、ここからの未来に向かって、どんな認識や言葉で、自分の物語を語ってみるのかということを、意識しながら、皆さまとお喋りできたと願っています。

ただいま参加者募集中です!

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