家系のカラーが違うということ

皆さん、明日は水曜日です。

フジテレビで現在毎週水曜・夜10時から放送されている「ナンバMG5」というドラマを見ていますか?

(前回、ドラマネタの「鎌倉殿の13人」を観て思う、組織で生き残るということがおもいのほか多くの人に読んでいただけたので、今日もドラマネタです)

明日はもう第7話です。

私は家族が見始めたので、つられて見てたのですが、今では私の方がハマっています!

このドラマを見ていただくと、家系のカラーが違う人の立ち位置がすごく、具体的に分かっていただけるかなと思います。

コメディタッチでもあるので、強調されて描かれている部分はあるにしても、ヤンキーカラーの一家に育った主人公が、脱ヤンキーを目指して、自分らしく生きられるようにと努力して普通の高校生らしく暮らしたいと、好きな絵を描きたいと望んで、ヤンキーと通常高校生生活の二重生活をドラマにしています。

その二重生活への努力がね、涙ぐましいのです!

私は何度も泣かされています。

算命学では、戌亥・辰巳・子丑天中殺生まれを家系のカラーが違う。本質として親の後を継ぐような人達ではないと言っています。

私には主人公の難波剛 が家系のカラーとは違う色を持って生まれていることを、ドラマの中で体現しているように見えます。

親が悪いとか、ヤンキーだからではなく、ただ単に、その家族の色に染まりきれない。

ドラマの中は、主人公は親兄弟と上手くいっているし、愛情のある家族なんです。

でも、もとめているものや、向かう方向性が異なる。そこをドラマの中は二重生活で描いていますし、その苦労や悩みや努力は誰でもうなずけると思います。

何で言葉を尽くしてカミングアウトしないの?とか

もっと家族という環境に働きかけたら?とも言えそうですが、子供は環境をあらかじめ選べないので、自分の外側に適応して生きるしか術がないです。

主人公はヤンキーに適応できる能力があったから、家族から疎外されていませんが、その能力を示せない時の不幸や齟齬は、いくらでも想像出来るでしょう。

親の当たり前や親やその家に流れている家系のカラーや特徴を受け継げないんです。それは、いい悪いではないし、その人の方向性や価値観を指し示してしまうものなんですよね。

染まって、受け継いで続いてくものを大事にして行く立ち位置の人と、染まらず、親元や家系から離れて、本当に自分の人生の流れをあらたに始めていく立ち位置の人がいるということで、それは、人の暮らしの営みの中にどちらも必要なものなんだろうと思います。

どちらかだけでは循環して行かないのでしょう。

家系のカラーの違う立ち位置で生きる人は、できるだけ早く、親や家系から離れて自立できるほど、自分の人生は展開しやすくなるはすです。

ドラマがどういう結末にたどりつくのかを楽しみにあと、数回の放送を見とどけたいと思います。

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